東京レトロポリタンク

BL小説家(志望)の男の興味の矛先。

斎藤さんの結婚式の二次会にBL小説家志望として行ってきた。

さる11月11日、ウェブライターで指圧師の斎藤充博さんの結婚式が催された。ありがたいことに二次会にお誘いいただいたので、ふるえながら参加してきた。

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◆斎藤さんのBL小説を書いていた

ウェブでよみものを嗜む人々にとって「斎藤充博」は見慣れた名前だろうからわざわざ紹介するのはやめよう。愉快で元気で時々つらい35歳である。斎藤さんとぼくは同い年で、知り合ってかれこれ6年。とはいえ相変わらず敬語でやり取りし合っているから、「友達」なのかも判然としない。ただ、ぼくは斎藤さんが昔から好きなので、斎藤さんにもぼくをもっと好きになって欲しいな……、と思っている。
そんな斎藤さんが突然連絡をくれたのは今年の春のこと。

「おれを主人公にBL小説を書いてくれませんか、そういう同人誌を作りたいので」

このへんのことについては、既に斎藤さんがここ(http://nlab.itmedia.co.jp/nl/spv/1711/02/news005_0.html)でガッツリ書いて下さっているんで、全体的なことについては書かない。
紆余曲折あって、本は無事に刷り上がった。しかしイベントは11月18日、本の刷り上がりは11月の初旬である(この時期に斎藤さんがTwitterに本の実物を上げていた)普通、即売会に合わせて印刷所に本を頼むようなときは、イベント当日に会場へ直接搬入ふるもんなんだけどな……。
ぼくを含む参加者たちは訝っていたと思う。その上斎藤さんが、
「この本、結婚式の二次会で参加者に配ります」
こんなことを言い出したときに「あんた何言ってんだ!」って思ったの、たぶんぼくだけじゃなかった。

ここでぼく自身のことを少しだけ書かせてください。
ぼくはBL小説を書いている。趣味で書いているのではなく、本気で、プロになりたくってBL小説を書いている。でも現状、なれていない、なれる気配がない。
たくさんの人に読んでもらいたい、そう願って書いている。でも書いても書いても、リアクションは薄くって、つらい。同人誌作りも費用対効果が悪くてやめてしまった。
そんなぼくに斎藤さんが「小説を書いてくれ」と言った。依頼をされたとき、ぼくは即諾したのだけど、最大の理由は、
「斎藤さんに小説を読んでもらえる!(以前、斎藤さんに取材をして小説を書いたことがあって、その完成原稿を送ったんだけどどうも読んでくれていない様子だ)」
と思ったから。それぐらい、感想に飢えていた。

それをまさか、結婚式の二次会で参加者に配るとは。っていうか依頼された段階では、斎藤さんが結婚してるなんてことも知らなかったんだけど!
怖いな、と思う反面、
「こんなにたくさんの人に読まれるの初めてだ」
って、興奮を催している自分がいるのも事実。だってぼくは、読者さんが欲しかった。喉から手が出るほど欲しかった。
でも、やっぱり怖い。

そして迎えた斎藤さんの結婚式の二次会当日。到着したぼくを出迎えてくれたのは、
「これ、引き出物……? 引き出物っていうか、おみやげです」
という言葉とともにお手伝いの方から手渡された、刷りたてほやほやの新刊同人誌、
『BLって何だかわかんないから自分を素材に作ってみた』
である。
感動か、興奮か、それとも恐怖か判らない震えを催しながら会場となったレストランに入ると、……場内のほとんどの方が、『BLって〜』を手に持ち、ページをめくり、あるいは読みふけって、いる。
ぼくの小説を読んでくださっているのかは、判らない。でも、その本には間違いなくぼくの書いた小説が載っているんだ。
小説原稿を書き上げてから随分経つけど、当時の苦労が少しだけ蘇り、形になる前に溜息に混じって消えて行きそうな気持ちだった。


◆「ナマモノBL」なんて書くの初めてだった

斎藤さんに「ぼくを題材にBL小説を書いてください」と言われて、読者さん欲しさに請け負ったはいいけど、ぼくはこれまで「ナマモノBL」なんて書いたことも読んだこともなかった。そういうものがあるらしいぞというのは知っていたけれど、実際ぼく自身が三次元の誰かに、執筆へ向かわせるだけの強烈な「萌え」の感情を抱いた経験はほとんどない。
そこへ来て、自分と同い年の、要するに「おっさん」に「おれをBLの主人公にしろ」と言われたのだ。冷静になるにつれて、指先が冷たくなるような気持ちに陥る。
不安を口に出せないままでいるうちに、斎藤さんが玉置標本さんに相手役のオファーを出してくれてしまった。玉置さんの記事はたくさん読ませて頂いてきたけど、ご本人とお会いしたことはただの一度もない。雰囲気も判らない。どうしよう? でももう後には引けない、「玉置×斎藤」小説を書かなければいけない。
これは、率直に言おう、大変だった。
そういうBLが好きな方も多いからこんな言い方しちゃいけないんだけど、ぼくは「おっさん」に萌えることはない。可愛いのが好きで、言ってしまえばショタコンでありロリコンである。そんな男がおっさん同士のBLを……?
斎藤さんは可愛らしい顔をしている、玉置さんは目鼻立ちくっきりで男らしい。しかし、しかし、……おっさんはおっさんじゃないか……!

ぼくにとって救いだったのは、玉置さんのこの記事(http://portal.nifty.com/kiji-smp/120315154293_1.htm)だった。
そもそも、玉置さんと斎藤さんは「TANDEM」という、二人羽織のバンド(記事読まないとよくわからんだろうけどそういうバンドがあるんですこの世には)のメンバー同士なんだ。しかもこのときの二人はプロのメイクアップアーティストさんの手によって、まるでマンガから出てきたみたいにお美しくなっている。これだ!
筆が進み始めた。ぼくの脳内のおっさん二人が、物憂げでナイーブなヴィジュアル系バンドの二人に変身して、もどかしい思いを輝きとともに解き放ち始めた。作中にはデイリーポータルZ編集部の古賀さん・安藤さん・石川さんのお三方にも登場して頂いた。特に古賀さんは、一歩を踏み出せない作中斎藤の背中を押す、姉御的な役を担って頂いた。自分はおっさんのみならず女性を書くのも得意ではないんだけど、古賀さんは上手に書けた……、と自負している。
かくして、小説は完成した。

苦労というほどでもなかったな、小説を書こうと思ったらもっとしんどいことも、いくらだって起きる。でも書いたものを読んでもらえたとき、その苦労は一瞬にして報われるのだ。

会場を見回すと、やっぱりたくさんの人が本を読んでくれている。夢みたいな景色だった。もう、この景色を見られたら帰ってもいいぐらいだ……、そう思ったけど、斎藤さんのBL小説を書いたぼくにはもう一つしなければいけないことがあった。



「あの、あの、は、は、はじめまして、小説を書かせていたただだきました村岸健太と申します!」
ハイボールを流し込んで勢いのままに、ぼくは同じ本に可愛い斎藤さんの漫画を寄稿された米田梅子さんと共に、白いドレスの女性にそう挨拶をした。丁寧さを心がけた結果、挙動不審を二歩も三歩もオーバーしたような状況のぼくを見て、にっこりと、美しく微笑んでくださった。
何をお話ししたか、よく覚えていない。なんだか、ぼくはただただ「すみません、本当にすみません」と謝っていた気もするのだけど、それも定かでない。確かなのは、この女性がぼくの書いた「斎藤さん受の小説」を読んでくださって、しかもとても心のこもった書評を寄せてくださったということ。
そして、……この白いドレスの可愛らしい女性が、斎藤詩織里さん、斎藤さんがお嫁さんである、ということ。

「嫁に書評を書かせよう」
本作りの最中に斎藤さんが言い出したときには、冗談抜きで「何言ってんだあんた!」と声に出してしまった。そもそもぼくは原稿依頼を頂いた段階では、斎藤さんが既に詩織里さんと入籍していることなど全く知らなかったのだ。
「面白がってくれてたみたいだから」
って、そりゃ一応そうは言うでしょうよ、でも内心はどうか判らない。自分の夫になる人が、自分以外の男と……。
いつかお会いするときが来たら、何て言えばいいんだろう? ずっとそう考えていて、この結婚式の二次会がその場になると定まったときにはもう、何か月も前から緊張していたほどだ。本当は怒ってるんじゃないか……? 

詩織里さんは怒っていなかった(いや、本当は怒っていたのかも知れないけど、それを見せまいとしてくれていたのかもしれない)
ぼくにとってはそれが、何よりも一番幸せで、そして一番大事な宝物のような事実だった。「ナマモノBL」を「本人の依頼に基づいて」書くという行為の持つ意味の大きさに、ぼくはこのときようやく気付いたのだ。斎藤さんがこの本を、考えうる限り最も相応しくない場で参列する人々に配ろうと思った意味も。
この本は、ぼくに出来る斎藤さんご夫婦への、最大限の祝福だった。
これからのお二人が、幸せであり続けてくれることをぼくは祈っている。でも「病める時も」来ないとも限らない、考えたくはないけれど、人生には何が起こるか判らない(本人から「おれのBLを書いて」と依頼されることがあるなんて、BL小説家はきっと想像しない)
そのときに、
「でもあんな本があってもおれたち仲良し」
って思ってもらえるんじゃないか。
つまりこの本は、二人のこれからに何があろうと二人はまるで揺らぐことなく、固い絆で結ばれて歩んでいくことを、予め証明するものなのだ。
そして、それが出来るのは、どうやら斎藤さんの知り合いの中で唯一のBL小説家志望者であるぼくの他にいないらしい。
きっと斎藤さんはそう考えて、ぼくに原稿を依頼したんだろうと、ぼくは思うのだ。

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◆余談

さすがに一流ライター斎藤さんの結婚式の二次会で、その場にいる方々の錚々たるっぷりたるや、「錚々たる」という言葉しか思い付かないような豪華メンバーだった。そんな中、数ヶ月ぶりの再会となった古賀さんはぼく(なんか)のことを覚えてて下さって、本当に嬉しかった。ご本人にも、ぼくの書いた「古賀さん」を気に入っていただけたようだ。
そして同じくDPZ編集部の藤原さんや石川さんとご挨拶させて頂く機会も得られた。これまで画面の向こうにいた方たちとこうしてお話する日が来るなんて、夢にも思わなかった。何もかも、斎藤さんご夫妻のおかげである。
斎藤充博さん、詩織里さん、どうぞ末長くお幸せに!

おまえもたまごとじ丼にしてやろうか!

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最終的に至ったカオス


 かつ丼、という食べ物があるね。パン粉の衣をつけて揚げたサクサクのトンカツを、わざわざタマネギと一緒におつゆで煮て、たまごでとじた食べ物だ。おいしい、とてもおいしい。

 関東にチェーンを展開する「山田うどん」には「かき揚げ丼」というメニューがある。これはただ掻き上げを乗せただけではなくて、やっぱりたまごでとじた食べ物である。メニューの写真には「山田の定番!」という文句が添えられている。

 お蕎麦屋さんに行けば「たぬきそば」や「コロッケうどん」や「天ぷらそば」がある訳だ。めんつゆと油は相性がいい、ということだろう。とりわけ「衣」が油を解き放ち、その身いっぱいにめんつゆを抱き締めている味に、みんな惹かれているということだ。

 揚げものをたまごでとじてご飯に乗せたら、どれでも美味しい丼になるんじゃないか。そんな気がして来て試してみたら、だいたい予想のとおりでした。

 

 

揚げ物フィーバー

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 そんな訳で我が家の(せまい)台所に集結したのは五種類の「普段あんまりたまごでとじないよね」系の揚げ物たち。

 

(1)かぼちゃ天

 天丼とか天ぷらの盛り合わせとして出て来たときには最初に片付けちゃう……、とかありませんかね? ぼくは甘いおかずがあまり得意でないもんで……。

 

(2)アジフライ

 フライ四天王の一角を担う存在。普段は特に手を加えることなくソースか醤油で立派に「メインおかず」を張ることを考えると、トンカツ→かつ丼同様の変わり身と言えそう。

 

(3)ちくわ天

 これは「天ぷら」というよりは「立ち食いそば/うどんのトッピング」としてキャラが立っているイメージ。丸亀製麺はなまるうどんでもついついいつもチョイスしてしまう。安いわりにお腹に溜まるのが嬉しくって。

 

(4)山芋の天ぷら

 スーパーのお惣菜コーナーで買ったんだけど、天ぷらの中で一番珍しかったのがこれ。山芋ってあんまり味ないでしょう、食感を楽しむものだと思う。めんつゆで煮込んで上手いこと味が染みたらおいしくなるのでは。

 

(5)ベーコンクリームコロッケ

 立ち食いそばのトッピングとして不動の地位を確立しているのはいわゆる普通のコロッケで、あれにめんつゆが合うのは知ってる。けど、クリームコロッケだとどうなるんだろう?

 

 一度に全部食べたらカロリーやらコレステロールやらがえらいことになるのは目に見えているから、それぞれ半分に切って食べます。ベースのおつゆは特に工夫もなく、おつゆのボトルに書いてある「丼もの」の通りに希釈したもの、薄切りにした玉ねぎをこれでぐつぐつやって、揚げ物を乗せて、たまごでとじるだけです。

 

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 別にそんな変なことやってるわけじゃないんだけどどこか慣れない印象。

 

 さすがに同時に全部は食えないので、少しずつ順番に食べていきますよ。

 


かぼちゃ天玉丼

 

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 誰もいない食卓に、

「これ……、あれだな、かぼちゃの甘辛く煮つけたやつの味だ……」

 小さく独り言が漏れた。正式に何て呼ぶのか判らないけど、あるでしょう、かぼちゃを、ね、甘辛くしたやつ、あれの味です。衣がおつゆのしょっぱさを吸い込んだ結果、あの料理に非常に近い味になっている。ぼくはかぼちゃの甘さが得意じゃないんだけど、ここまでしょっぱくなってればまあ……、食べられなくはない。ただ何だろうか、……精進料理感があるな。ちょびっとでも肉か魚の破片が入っていればそれだけでグレードアップしそうなんだけど……、かつ丼や天玉丼の幻影がちらつく。

 下手するとこれ全部同じこと考えちゃうんでは。薄っすらとそんな懸念がよぎる。

 

おいしさ    ★★☆☆☆

寂しさ     ★★★★☆

別の料理感   ★★★★☆



アジフライ玉丼

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 アジフライはタテに半切りにした(そうしないと茶碗に収まらない)んだけど、きっとかつ丼のトンカツみたいにもうちょっと細かく切ってからとじたほうがよかったんだな。えらく荒々しい見た目になってしまった。ただかぼちゃ天丼のときに感じた「肉か魚が欲しい」という気持ちに対してはこれ以上ないアンサーとなっている。

 だが、一口食べてみて驚いた、しょっぱいのだ。

 ……これはきっと下味の塩コショウの味なんだろうな。もとから味のついているものをめんつゆで煮込んだら、そりゃしょっぱくもなりますよ。

 でも、大きく口を開けて噛り付くと、満足感は高い。ご飯と一緒にかきこみたい、ますます細かく切っておけばよかった。それでも無理してガツガツ行くと、小骨が致命的なまでに邪魔。

 

おいしさ   ★★★☆☆

しょっぱ   ★★★★★

小骨が邪魔  ★★★★★

 


ちくわ天玉丼

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  ちくわ天が人気なのって「安いけど手の込んだものが出て来た」感があるからじゃないですかね。魚のすり身だし、食感はイカだし、しかも天ぷらだし。

 そんな訳で期待していたんだけど、やっぱりこれも一切れがでかいな。

 はむ、と噛んでみる。

 一瞬、イカ天がそこにいた。

 すぐにそれが錯覚だと気付かされる。ちくわの香りがムンとしてくるのだ。考えてみるとこれまで「ちくわとご飯」って組み合わせあんまりしたことないな。炊き込みご飯にちょっと入れるぐらいか。そう言えばちくわってこう見えて結構個性が強い味と香りがするんだったっけ。

 そんな印象です。

 

おいしさ   ★★☆☆☆

イカの幻   ★★★☆☆

胃もたれ   ★★★★★

 

 ……小さめの茶碗で食べているとはいえ、そろそろ揚げ物が胃にもたれてくるお年頃である。昼飯はこれぐらいにして、残りは夜に回した。


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家人が半分ずつ残った揚げ物をカレーに乗せていた。


後半戦行きます。山芋天とクリームコロッケを、二人分まとめて調理。

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山芋天玉丼

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 山芋の素朴な風味が消えてしまったのが残念で仕方がない。「山芋って火を通すとさ、ほっくりしてさ、優しい風味が残ってて……」って、誰に対してか判らない言い訳を口走りそうになる。ほとんどめんつゆの味の、ほくほくした何か。そんな中にあってわずかにぬめりが残っているのが、かえって寂しさを感じさせる結果になってしまった。

 

おいしさ   ★★☆☆☆

山芋感    ★☆☆☆☆

残念さ    ★★★★★

 


ベーコンクリームコロッケ丼

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 だいぶ上手く行っていない中で、気持ちも後ろ向きになり掛かっていたんだけど、これは一口食べて「んん!」と思わず膝を立てた。そのまま立ち上がるほどではないけれど、これはイケる。クリームコロッケってもともと濃い味で、そこにめんつゆが加わるとしつこくなるかなって心配してたんだけど、むしろここへ来て初めて味が拮抗する感覚があった。めんつゆってこうしてみると結構強いあじだったんだな。アジフライはしょっぱくて、「しょっぱい×しょっぱい」の相乗効果で駄目だったけど、別ベクトルの濃さならめんつゆと対等に渡り合える。

 クリームコロッケにはめんつゆがよいのかも知れない。

 

おいしさ   ★★★★★

濃さ     ★★★★★

バランス   ★★★★☆

 

 

 ここでこの企画終えてもいいかなと思ったんだけど、数日後家に帰ったら家人が買って来た揚げ物が台所で冷えてぼくを出迎えてくれた。せっかくなので延長戦を催すことにしよう。ラインナップは白身魚のフライとハムカツ、そしてプラスアルファでもう一品。

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ハムカツ丼/白身魚のフライ丼/あげ玉玉丼

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一つずつの写真を撮り忘れちゃったからまとめて。


 まずハムカツ丼。いや、判ってたけどしょっぱいな! 

 アジフライ丼やハムカツ丼を作るにあたっては、おつゆを薄めにしなきゃいけない。それかもう、ソースカツ丼みたいなカッコにしなきゃダメだ、とにかく下味のついてるものはたまごとじ丼には向いていないと思います。

 ただ、それを差し引いても味そのものは塩と油の合わさったジャンクな感じで、そういうのが好きな方はいいのでは。男子高校生とか。あとはまあ、肉感においてはかつ丼に負けないものを感じる。魚肉ソーセージかも知れないけど。

 

おいしさ   ★★☆☆☆

塩      ★★★★★

肉感     ★★★★☆

  


続いては白身魚のフライ、好きです。のり弁でも最後にとって贅沢にガブガブ頂きます。この「白身魚」の正体についてはこの記事を参考にしますと、どうも「メルルーサ」であるらしいですね。メルルーサってちょっと沖縄の言葉っぽさありません?

 これもしょっぱいかなーと思ったら、下味があっさりめだったのかそんなことはなく。デフォルトでタルタルソースが付いていたのでそのまま入れちゃったんだけど、これもそんなに合わないことはない。

 トータルで考えると一番優秀かもしれません。バランスもいいし、贅沢な感じがしますよ。

 

おいしさ   ★★★★★

バランス   ★★★★☆

満足感    ★★★★★

 

 

最後に、あげ玉があったんで、それも一緒にたまごとじにして丼に。あげ玉は普段納豆に入れて食べています。

 保護色……、だな。

 味も……、遠いな。

 しかししつこさだけは残るな……。

 やらないほうがよかった。

 

おいしさ   ★☆☆☆☆

まずしさ   ★★★★★

虚無感    ★★★★★

 

===

選択肢の一つとしてなら


 夫婦が共働きの家なんかでは、スーパーのお惣菜コーナーにある揚げ物って食卓に並ぶ機会もおおいんじゃないだろうか。でもたいていは「揚げたて」とは程遠い、冷めてて硬くなってて……。レンジでチンすると、今度は衣がフニャラカになってしまって。せっかくの晩御飯が寂しくなってしまう。

 しかしながら、たまごとじ丼にすると、

 (A)衣フニャラカでも気にならない

 (B)ひと手間プラスしたことによる(自己)満足感

 (C)たまごとタマネギで栄養バランスアップ

 こういったメリットが発生する(塩分量については目をつぶってもらうとして)のである。

 遅くなった夜のご飯の選択肢の一つとしては、アリなんではないでしょうか。アジフライやハムカツ以外でね。


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揚げ物大好き。

「おばあちゃんち」に記憶旅行。

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「おばあちゃんちに行く」って、小学生ぐらいの子供にとってはそれがどこであれ、ちょっとしたイベントごとだったんじゃないだろうか。都心近くにあったぼくの家は父方の祖母と同居していて、「おばあちゃんちに行く」という言葉から導き出されるのは、母方の祖母の家だ。

 祖母が亡くなって間もなく二十年が経とうとしている。その間、色々なことがあった。この歳になって幼少のみぎりに遊び回った場所を散策してみたら面白いんじゃないだろうか、そんなことを思い立って、秋晴れの日にぼくは出掛けた。

 もっともぼくにとって「おばあちゃんち」の周囲は柔らかな幼少期の思い出ばかりが蘇る場所ではないということは、あらかじめ判っていたことだ。


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つくし野駅は昔のまんま

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 ぼくの母方の祖母は、祖父と、母の姉と三人で東京都町田市に暮らしていた。ぼくの生家からは電車で五十分ぐらいか。小学生の子供にとってはそれでも十分に「遠出」である。


 

 二十何年ぶりに降りた駅前の様子は、記憶の中とそれほど変わっていないように見えた。東急田園都市線つくし野駅、平日の昼間とあって、対面式のホームは人影も疎らだ。改札口への階段を上がって行くにつれて、徐々に強烈なノスタルジーが沸き立ってくるのを感じた。子供にとっては長時間電車に揺られて、改札への階段を駆け上がって、……自動改札の向こう側に、祖母が、祖父が、「よく来たね」と笑って立っている姿が一瞬で蘇ったのだ。確か昔の東急の自動改札機は、子供料金の切符を改札に通すと、「ピヨピヨピヨ」とブザーが鳴ったはずだ。その音さえ思い出される。

 もちろん今はICカードの「ピリッ」という音が短く響くだけだが。


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 駅前の様子もほとんど変わっていなかった。写真の中央左に映っている菱形の謎のモニュメント、駅の壁に書かれた夕陽とつくしのアングルも、記憶の中のままだ。ただ駅に併設されていた書店はもうなくなっていた。一方で正面奥に見える東急ストアは、昔と変わらない姿で元気に営業している。

 祖母も祖父も伯母も、ぼくが来るといつも東急ストアで「これも食べなさいあれも食べなさい」と山のようにステーキやお刺身を買い込んでくれたことを覚えている。でも、とりわけぼくの何故だか鮮烈に覚えているのはビッグシェフというブランドの、「レモンツイン」という味のドレッシング。実家とは全然違う味で、とても気に入っていた記憶がある。これを東急ストアで買って、家に帰ってレタスにでもかけて食べてみよう……。

 そう思ったのだけど、残念ながらそのドレッシングは棚に並んでいなかった。Amazonで調べてみるとまだ製造はしているようだから、この店で取り扱いをやめてしまったというだけだろう。残念だけど仕方がない。

 東急ストアを出て、「おばあちゃんち」のあった方へと歩き出す。遊歩道のようにこぎれいな坂道を少し歩くと、駅前の外れでまた強烈に記憶がフラッシュバックした。


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 あ! ここ覚えてる! と思わず小さく声を上げてしまった。この道を、駅まで迎えに来てくれたおばあちゃんとおじいちゃんと、三人で歩いたんだ!

 夏の夕方だったと思う。

「宿題をちゃんとやんなきゃ、お父さんに怒られるよ」

 というようなことを、祖母に言われたのだ、ぼくは。

「わかってるよ、朝はちゃんと早起きして、涼しいうちに算数のドリルをやるよ」

 実際にこの子供がそういう勤勉さを発揮したのかどうかは判らないけれど、確か父に「帰って来るまでに宿題のドリルをどのページまで終わらせること」と厳しく言われていて、それが出来なかったら来年の夏休みはおばあちゃんちに行かせないぞ、ぐらいの条件を出されていたような記憶がある。父はとても厳しい人で、ぼくが夏休みに「おばあちゃんちに行く」ことにあまりいい顔をしていなかった。一方でおばあちゃんたちは優しくて、毎年一つはゲームボーイのカセットを買ってくれた。ぼくはおばあちゃんが大好きだったんだと思う。


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 ぼくがもう少し大人になった頃には、祖母たちに迎えに来てもらうまでもなく、一人でつくし野駅から家まで歩いて向かうようになっていた。よく覚えているのが、この景色だ。つくし野ぐらいになると、ちょっと歩いただけでこんな景色にぶつかる。幼心にこの景色には郷愁を感じていたのかも知れない。

 同時に思い出すのは、この畑が「芋畑」である、という事実だ。ぼくは植物にとても疎くて、畑の作物の葉を見ても、実を見なければ何を育てているか判らないのだけど、この畑は芋畑に違いない、と。

 祖母が一人でぼくを駅まで迎えに来てくれた日、この畑の隅に種芋が転がっていたのだ。祖母はそれをひょいと拾い上げて、すぐ側にいた畑の人に「もらっていいかね」と訊いた。畑の人に快諾されて、その芋は夜に煮物になったはずだけど、味はどうしても思い出せない。

 景色の細かな一つひとつは残念ながら輪郭の曖昧なものではあるのだけど、こんな風に歩いていると当時はどうでもいいとしか思っていなかったことが、湧き出して止まらなくなるのが不思議だ。

 あれは帰る途中だったんだろう、祖父と母と三人で歩いている途中、祖父の声がやたらに大きかったのが気になって、電車に乗って母と二人になったとき、「どうしておじいちゃんはあんなに声が大きいの」と訊いたことがあった。母は少し困った顔になって、「おじいちゃんは耳が遠いから」と教えてくれた。耳に悪い人は声が大きくなる、という知識をぼくが得たのはそのときだし、それからさき祖父に話をするときには大きな声でゆっくり喋るよう心掛けていた。

 人間の中にある、知識とか、情報とか。そういうものの出自は、間違いなく過去の記憶なんだな。「おばあちゃんち」の周囲にあるぼくの記憶の根っこは、どれも甘い味がするような気がする。

 

子供の体力

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「おばあちゃんち」が近付いて来た。けれどぼくの足は子供の頃に戻ったみたいに寄り道をする。横浜線の高架を見上げる道の脇に、うっそうと茂った森がある。夏休み、退屈すると一人であっちこっちへ出掛けたものだが、この森にはとりわけよく遊びに来た。「森」というのは都市部ではなかなか味わえないから、子供心に惹かれるものがあったのだろう。

 森の中に階段が続いていて、別の道に出られたはずだぞ。懐かしく思い出しながら、ふらふらと迷い込んでみたのだが……。


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 階段が、急だ。


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 足が、腰が、痛い。息が弾む。どうにかこうにか登り切ったときには、十一月だというのに汗が噴き出していた。当時は何の苦もなく駆け上がったはずなのに……、これが老化か。

 記憶の甘さに比べて、現実は少しほろ苦い。

 

自分のルーツ

 

 ところで、「おばあちゃんち」の近くには電車の車庫があった。東急の「長津田検車区」である。

 ぼくは、小さい頃から電車が大好きだった。子供の頃の夢は「電車の運転手さん」だったし、電車の形式を覚えるのに躍起になっていたし、電車を眺めていられるだけで幸せだった。そんな子供にとって、いつ行っても山のように電車が並んで憩う車庫が近所にある、というのは、そりゃもうとんでもないことで、泊まりに行けば、いや日帰りであっても、必ず足を運んでいたはずだ。


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 そうそう、この坂の途中から電車が見えただけで、すごくワクワクしていたっけ。

 

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 車両基地、というのは良いものだ。たくさんの人を乗せて、物凄い速さで駆け抜ける鉄の塊は、ともすれば無機質なものではあるけれど、車庫に並んで、ドアを半開きにして休んでいる姿には生きもののような愛嬌がある。少年期のぼくもそんなことを思っていたのかも知れない、おばあちゃんに「写ルンです」を買って貰って、車庫の電車をたくさん撮った。今見返すと酷い写真ばっかりで脱力してしまう(一部、とても貴重な電車の写真もある!)のだけど、その情熱だけは何となくこそばゆく、微笑ましく感じられるし、一枚シャッターを切るたびにジャリジャリとフィルムを巻かなければいけなかったことも思い出された。

 そういえば……、この車庫にはちょっと珍しいものがあるんだった。

 

 さっきの芋畑もそうだけど、この辺りは二十年前には畑が多かった。この車庫が出来たのは昭和54年、今から四十年近くも前のことで、当時は更に畑だらけだったことは想像に難くない。そんなエリアにある車庫ならではのものが、これ。

 

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 農耕車両専用信号、である。

 

 ……記憶が確かなら、ぼくがこの車庫に通っていた頃にはこの信号、カバーが駆けられていて実態は明らかでなかったはずだが。

 この赤と青の二灯式信号は、車庫を跨ぐ長い長い橋を農耕用のトラクターが渡るタイミングで使用される。跨線橋の上を農耕用車がひっきりなしに行き交うことがあったとも思えないけど、同時に橋の東西からトラクターがやって来るというのは都合が悪い。そんな訳で、橋の入り口に車両が到着した段階で、「押しボタン式横断歩道」にあるようなボタンを押して反対側の信号を赤にしてから橋を渡る……、という仕組みであったのだろう。実際全国でどれほどの活用例があるのかは判らないけど、遺構のレベルであってもこうして現存している姿が見られるというのは嬉しいものだ。

 

 それにしても。

 現在のぼくは高所恐怖症である。跨線橋を渡りながら、……電車の屋根を甍の波のように見下ろしていたことが思い出されるのだけど、よくそんなこと出来たよなあ、と感心してしまう。当時を思い出すようにスマートフォンで写真を撮ろうと試みるのだけど、高さが恐怖心に直結してしまってまともな写真はろくに撮れずじまいだった。

 

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 跨線橋の反対側にはもう一台の信号機。こちらは遮光の庇がとても大きいタイプで、これも珍しい。

 

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 跨線橋を渡り切ったところには横浜線の踏切がある。電車好きの子供にとっては夢のようなエリアだな本当に。けど、それだけに危なかったんじゃないか、なんてことを思ってしまう。歳をとるにつれて「速さ」というものが現実的な生死に直結していることを意識することが増えて来て、例えば「通過列車が参ります」なんて言われると思わず壁際まで退いてしまうぐらい、恐怖心を覚えるようになったので余計にそう思うだけかもしれないけど。自分が自分の子供だったら……、と考えると、ちょっと背筋が寒くなる。



昔よく遊んだ公園へ

 

 さすがに「おばあちゃんち」の正確な場所を特定されてはいけないので、そのエリアをうろつき回ったあたりの写真は載せないでおく。家がそのまま残っていて、でも、知らない誰かが住んでいる、という事実に慣れるまで、ずいぶん時間がかかってしまった。ああ、そうか、「おばあちゃんち」は借家だったんだなあ、なんてことが大人になるとこうして理解される。

 おばあちゃんちの前まで行って思い出したのは、ぼくには「おばあちゃんち限定の友達」がいたんだった、ということ。隣に住んでいた同い年の男の子で、たまたまその子が家の前で遊んでいるのを見掛けたぼくの祖父が、「遊んでやってくれないか」と声をかけたのだ。ぼくらはすぐに打ち解けて、その日から彼の家でファミコンをして遊んだり、一緒に車庫へ行ったり。とりわけよく覚えているのが、五分ほど歩いたところにある公園でのことだ。


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 一体全体、どうしてそんなことをしようと思ったのか判らないが……。

「俳句って知ってる?」

「知ってる。五七五で作るやつでしょ」

 当時、ぼくらは小三とか小四とかだったはずだ。そんな子供が二人、公園のベンチに座って、ひたすら俳句を作って披露し合う、という遊び。せっかく公園に来て、何でわざわざ俳句なんて作ってたんだろうな、ぼくたちは。でもそれがとても楽しかった気がする。ここまで結構な距離を歩いてきて、おじさんは少し疲れたので同じベンチに座って、当時の気持ちを思い出してみようとするけれどうまく行かない。俳句を捻り出そうとしても、ちっとも良い句は浮かばない。

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 あの男の子はいま、どこで何をしてるんだろう? 「隣のおばあちゃんちに遊びに来る電車が空きな男の子」と俳句を作った記憶、残っているだろうか……?

 

 

人生には、当たり前のように色んなことがある

 

 総じて、ぼくは子供の頃、とても幸せだったんだろうな。とりわけ「おばあちゃんち」にまつわる記憶は甘美なものが多い。まだ何も知らなくて良かった。おばあちゃんが褒めてくれるから、ゲームソフトを買ってくれるからっていう理由でテストを頑張ればよかった。

 おばあちゃんが亡くなったのはぼくが高校一年生のとき。

 その辺りを境に、ぼくはこの街に寄り付かなくなった。少しずつ、少しずつ、ぼくの実家と母の実家の関係が、おかしくなり始めたからだ。それは母と父との関係が歪み始めた時期でもあったと思うし、ぼくが「BL小説家になる」などと言いだした辺りでもあった。

 詳しく書くことはここではしないが端的に言うと、ぼくが二十五歳のとき、母は下らないことで激昂した末に自殺を図り、それを防ごうとしてぼくは負傷した。それから数か月に渡り、引きこもり(と言っても、毎日仕事には出掛けていた)生活を送った末に、母から「夫から酷いことをされ、離婚したくてしたくて追い詰められていた。あなたを傷付けてしまったことを心から申し訳なく思う」という謝罪を受け入れるに至った。母に同情したぼくは父を憎み、母の出奔を手引きさえした。自分は母思いのいい息子だと信じて疑わなかったし、亡くなったおばあちゃんも喜ぶだろうと信じて疑いさえしなかった。

 しかし現実は違った。

 母は出て行くに際し、ぼくに彼女の夫がしたという悪事を滔々と語ったが、そのどれもが嘘であることは後になってから判った。どうも父方の伯母が弟(つまりぼくの父)を憎んでいて、裏で手を引いていたようにも見えるのだが、それも定かではない。何にせよぼくが事態の全体像を掴んだのは、母の出奔から一年以上が経過し、ぼく自身も実家を出た後のことだ。

 母は出奔に際し、父のお金を持って行ってしまっていた。

 そのお金でマンションを買って、今は伯母と暮らしている。……ひょっとしたらまだ健在かもしれない祖父も同居しているかもしれない。そして離婚は、未だ成立していない。

 両親の別居が始まって、来年で十年目を迎える。

 

 金の問題はさておき、現在のぼくは両親がきちんと離婚してくれることを願っていて、何度も母に手紙を送って来た。母は明らかに迷惑がっていて、やがて返信さえ来なくなってしまった。

 今年の四月、業を煮やして母が居を構えたマンションに行った。インターフォンに出たのは、幼い頃の記憶とは別人のように冷たい声の伯母だった。伯母曰く、母は「息子からこんな仕打ちを受けるなんて」と精神的苦痛を味わい、体調を崩して入院中だと言う。ぼくは「早急に離婚を成立させて欲しい。金についてはよく判らないが、あるべき場所にあるのが本当では」ということを言っただけのつもりでいたのだが、母にはそれが「息子が父の側に付いた」という意味に受け取られたらしく、相当なストレスになってしまったようだ。病状を教えて欲しいと告げて帰って数か月後、何食わぬ顔の手紙が久しぶりに母から届いた。要約すると「放っておいて欲しい」という内容だった。


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「母の実家」から一番近い横浜線成瀬駅へと歩きながら、「おばあちゃんち」の記憶が甘美なままであることを、ほんのり嬉しく思っている自分がいた。成瀬駅には当時「そうてつローゼン」と「ユニー」という二つのスーパーが軒を連ねていて(「そうてつ」のみが現存)伯母の運転する車で買い物に来た。二階におもちゃ屋さんがあって、そこでゲームソフトを買ってもらったんだったっけ。


 そう思って二階に上がってみたけれど、フロアの大半はドラッグストアと本屋に変わってしまっていた。

 テナントが変わるように、気持ちも変わって行くものなのか、と少し陳腐な感傷に襲われた。

 

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母の件がこれからどうなるか判らないけれど

 

 ぼくは小学校四年生のときからずっと、小説家を目指している。二十五年近くやって来て、いまだその夢を叶えられていないのだけど、じゃあ何で小説家になりたいと思ったか、というと、当時読んだ久美沙織さんの「小説 ドラゴンクエスト5」に感動したからだ。人生で初めて「小説を読みたい」と言ったぼくにその本を買ってくれたのは母方の祖母であり、祖父であり、伯母であった。

 そしてそもそも、ゲームソフトの「ドラクエ5」をぼくに買ってくれたのも「おばあちゃんち」の人びとだ。

 ぼくは「おばあちゃんち」で得たものから生まれた夢をずっと抱えて生きている。


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 苦難の末に成長した主人公が、まだこの先何があるか知らない幼き日の自分に会いに行く、というシーンが、ドラクエ5にはある。幼い主人公に向けて、成長した主人公はこう言うのだ。

「この先どんな辛いことがあってもくじけちゃダメだ」

 ぼくの人生に起きていることは、別にそんな大したことじゃない。けれど、「人生にはいろんなことがある」ということは学んだ。だから仮に、ぼくがまだ何も知らない子供の頃の自分に言うことがあったとしたら。

「おまえは大人になってからまたここへ来る。そのときおまえは、そこそこ幸せに暮らしている」

 ということを教えて、少しばかり安心させてやりたいものだ。

本の告知。

本、と言っても同人誌ですが。


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「BLってなんだかわからないから自分を素材に作ってみた』

斎藤充博/斎藤詩織里/井口エリ/米田梅子/くみこ/おおたかおる/村岸健太


前代未聞!

「新婚の夫を題材にしたBL小説の評論を新婦が行う同人誌」です。タイトルの通り「BLってよくわからないけど流行ってるな〜、わかりたいな〜」という動機で作られた本。デイリーポータルZなど数多くのwebメディアで大活躍中の指圧師ライター・斎藤充博氏がお送りする、今年最大の問題作!


11月18日(土)京急蒲田駅徒歩2分の蒲田pioにて開催される「第2回webメディアびっくりセール」にて発売!


全年齢対象/1,000円


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もともとおれは斎藤さんの指圧治療院のユーザーだったんですが、だいぶ早い時期に自分がBL小説家志望であることを伝えていまして。一度小説の取材をさせて頂いたこともあるんですよ。そんな縁もあって今回、光栄なことにお声掛け頂きまして、斎藤さんと同じデイリーポータルZライターである玉置豊さんとのBL小説を書かせて頂きました。

自分の持っているもの全部注ぎ込んで臨みました。光栄通り越して畏れ多いというか恐ろしいことに、奥様にレビューまで書いて頂いてしまっております。

もちろん他の方の分も……、小説あり、漫画あり、グラビアあり、評論あり、読み応えたっぷりの一冊となっております!


現在、斎藤さんのblog(http://fushigishiatsu.hatenablog.com/blself)にて先行予約を受付中です。「確実に手に入れたい!」という方は是非、斎藤さんのblogからお申し込みくださいね。


無関係なお祭

今日から夏コミなんだった。


おれはもう五年以上同人活動をしていない。たまに知り合いが作る同人誌に請われて短編を寄せるぐらいで、あとはもう、イベント会場にもほとんど行かなくなってしまった。行ってもあんまし得にならねえな、と思うようになってしまったからだ。

それは端的に、お金の話だ。


小説の同人誌は売れない。漫画のそれに比べると、びっくりするぐらい売れない。それをよく理解して手を付けないと、ほんとに驚くくらいマイナスが出てしまうのだ。

つまんない本はもっと売れない。

二次創作なんかだと、旬じゃないジャンルの本はもう、内輪でぐるぐるまわってるぐらいのもんじゃないのか(と言って、おれはコミケに行くたび毎回ぜんぜん知らないジャンルの同人誌を買ってたけど)


売れない条件を全部満たした同人誌を作っていたので、当然売れるわけがなくて、たまーに売れたかと思うと「有名な同人漫画家が表紙を描いてくれた旬のジャンルの二次創作小説」で、祈るような気持ちを込めて書いたオリジナルの小説なんてもんはもうほっとんど売れなかった。

売れない、となると印刷費がそのままマイナスになるわけで、……こんなのやってられっか、と辞めてしまったんだ。

しかし売れ線を書き続けていたらもうちょっと儲かっていたのかな……、と思うことはある。あのとき貪欲に売れ線を書き続けていたら……? ひょっとしたら今頃とうの昔に小説家になれていたかもしれないな、と。

三年前に死んだばあさんが、初めて夢に出てきた。

おれ最近洋食屋に行くの好きなんだ、って話したら「じゃあいいお店あるから連れてってあげるわよ」って、おれの手を引いてひょいひょい歩き出した。

はー、ばあさん元気だなあ、と感心してるうちに、店に着く前に目が覚めた。


お盆だなぁ。


この話を知人友人にしたところ、三人中三人に「それ洋食屋に着いたら死ぬやつやん」と言われた。

おれは毎晩確実に夢を見て、しかもその日一日ぐらいの範囲は覚えているんだけど、夢がそういう生き死にのボーダーになるんだとしたら結構あやふやな毎日を生きていることになるように思う。

しかし生き死になんて、例えば歩きスマホで電車にぶつかったりとか、青信号だからって渡ってたのに車が突っ込んできたりとか……、あるいは、おれはサバアレルギーなんだけど油断して食べた物に大量のサバが入っててショック死したりとか……、そんか感じで決まってしまったりする。

お盆はそういう人たちも含めて帰ってくる時期なのだなぁ、と思うが、うちのばあさんの死因はいわゆる老衰だ。

何回だって童貞喪失

この間の「水中、それは苦しい」のライブ、最高だった。詳しくは次回の水中関係日記に書く。


今日はちょっと所用でお出かけ。

今年は「これまでやらなかったいろんなことしたいなあ」と思っていた。

その一環。

緊張するけど、楽しみでもある。

これもそのうち(そんなんばっかりだ)