東京レトロポリタンク

BL小説家(志望)の男の興味の矛先。

行き止まりに行きたくって仕方がなかった。

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おれは今年で36歳になる。BL小説家を目指しているんだけど、未だにプロになれていない。誰に読まれることもない小説を書き続けていて、不安に苛まれることも増えて来た。


「このまま何にも出来ないまま終わっちゃうんじゃないか」

「そもそもおれは道を間違えていたんじゃないか」


自分の歩む人生の道の先が行き止まりだったら……? そんな悲しい話ってないだろう。


でも「行き止まり」ってどんなところなんだろう? 考えてみるとこれまで、「行き止まり」に行ったことってないな……。


人生の「行き止まり」で途方に暮れるおれは、本当の「行き止まり」で何を思うんだろう?


そう思ったので、「行き止まり」を目指して出掛けてきたんですが。


===


◆気軽に行けそうな「行き止まり」を見付けた


八王子に住んでいる。中央線の八王子だ。二駅先が高尾で、そこから中央線は急にローカルな雰囲気になる。


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やってくる電車も都心でおなじみオレンジの帯の車両ではない


甲府小淵沢、松本といった行き先の電車に乗り換えて一駅、長いトンネルで小仏峠を越えた先、最初の駅は神奈川県の相模湖。相模ダムがあって、数年前には「ダムマニア展」も開催された場所だ。

八王子民はよく「八王子って山梨でしょー」なんて揶揄されるのだけど、八王子から山梨に行こうとすると神奈川を通るんだってことを覚えておいてもらいたい。


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山が近い。手前が中央線、奥の高架は中央自動車道


調べたところ、相模湖の駅から歩いて行ける距離に「行き止まり」があるみたいだ。しかも途中には滝もある。他にも駅から行ける範囲に「行き止まり」は何箇所かあるみたいだったけど、滝の存在が決め手になってここを目指すことにしたのだ。


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縮尺の都合上2枚に跨って地図


距離的にも、駅から2キロ足らず。どんな道なのか、辿った先にどんな景色が待っているのか、全く想像がつかない。ただ判るのは「山の中だろうな」という点のみ。

人生に行き詰まりつつある自分が「行き止まり」に辿り着いたとき、どんなことを思うんだろう? 徒労感を味わうだけなのか、それとも何か前向きになれるような景色が広がっているのか。


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行き止まりへのアプローチ


いよいよこの先が「行き止まり」だ。正直、ドキドキしている。そのドキドキの半分は期待感だけど、もう半分は「怖い目に遭わないだろうか」というものだ。具体的には、蛇とか蜂とか出たら嫌だな、あとは「ちょっと天気悪くなってきちゃったな」とか「まさか遭難するようなことにはならないよな」とか。

いやいや、天下のGoogleMAPに載ってる道なんだから幾ら何でも遭難はしないでしょ……、でも万が一ということもある。

しかしここで引き返したらおれは「人生の行き止まりにすら行けないで頓挫した男」になってしまう。

すくみそうになる足を叱咤して、踏み出した。行くのだ、おれは行くのだ!

どんなに雄々しい足取りだったとしても、行く先は「行き止まり」なのだけど。


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すぐにこんな砂利の急坂だ


運動用の靴というものを持っていないもので、ちょっと足元が不安定な場所になると途端に膝やら腰やらに負担がかかる。いや、これは靴云々以前の問題として中年だからだ。運動不足を解消しようと時々何キロか歩くのだけど、そういう日の夕方はがっくり疲れて寝てしまう、……BL小説の原稿やらなきゃいけないのに、体力が追い付かない。

「行き止まり」に行くためには体力が必要なのだ。

山の緑の風が吹き抜けるが、蒸し暑く、汗が噴き出してくる。それでも一歩一歩踏みしめて、三分ぐらい進んだだろうか。


信じられない光景を前に、立ち尽くした。


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「立ち入り禁止」


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「クマ出没注意」




◆「行き止まり」にさえ行けなかった男、さまよう


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別の道を辿って引き返したら、とてもハードコアな階段があった。高所恐怖症なので辛い


雨が降り始めた。

「人生の『行き止まり』で途方に暮れるおれは、本当の『行き止まり』で何を思うんだろう」と思って出掛けて来たが、そもそも「行き止まり」にさえ辿り着けなかった。

しかもクマが出る。クマは怖い。


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普段あんまり甘いものは食べないのに衝動買いした

 

雨はどんどん強くなり、やがて雹が地面を叩き始めた。傘を持って来てよかったな……、呆然としながら食べるエクレアはぜんぜん甘くなかった。


このまま帰ってしまおうか、という気持ちが湧いて来た。しかしせっかく交通費をかけて出掛けて来たのに何の収穫もなく帰るのも悔しい。雨宿りをしながら考えた挙句、小止みになった雨の中、意を決してもう一つの目的地に向けて歩き出すことにした。


◆高速道路を渡った先に神社がある


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鳥居の先の石段、妙なところで切れてると思いませんか


相模湖駅のほど近くに、與瀬(よぜ)神社、という神社がある。

先ほどおれが目指した「行き止まり」に向かう途中、駅から5分ほど歩いたところにある神社である。拝殿は相模湖駅の北に聳える山の中。

ここでさっき、「山が近い」ってキャプションを付けた写真を再掲しますね。

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中央道の向こうはすぐ山で、背後には相模湖を見下ろせるというロケーション


相模湖駅周辺は北から「山>{中央道>中央線>甲州街道国道20号線)}>相模湖」といった具合の位置関係になっている。{}でくくった範囲は狭くて、甲州街道が中央道の北に出るところもあるんだけど、だいたいこんな感じ。で、與瀬神社の参道は甲州街道にあり、繰り返しになるけど拝殿は山の中にあるのだ。


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甲州街道にあるバス停の名前は「与瀬」神社前


つまり、山の中にある拝殿に行くためには、何らかの形で高速道路を越えなければならない、ということになる。

その結果、この神社はとても特徴ある石段を備えるに至った。


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神社の石段……、と呼ぶには妙にインダストリアル


急な階段を登ったところに見えるのは、山にへばりつくように敷かれた中央道。


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紛う方なき自動車道


つまりこの神社の石段は高速道路を跨ぐ歩道橋の役割を併せ持っているのだ。


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ガチで高速道路

 

山と湖に挟まれたこのエリアにある神社ならではのアプローチだ。


おれは免許を持っていないんだけど、たまに人の車に乗せてもらって高速道路を走ると時たま現れる「歩道橋のような何か」が昔から気になっていた。高速が出来て自由に行き来出来なくなった住民のための歩道橋なんだろうな、と察してはいたけれど、その中の一つがまさか神社へのアクセスだとは思わなかった。

たぶんこの橋の下を潜り抜ける車の運転手たちも気付いていないんじゃないか。


せっかくなので、このまま神社にお参りをして行こう。


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次来るときまでにちゃんと歩くのに適した靴を買おうと決意した瞬間


踏みしろが小さい上に急な石段(こんどはちゃんとした石段)を登った先、雲間から差し込む陽射しに照らされた與瀬神社の拝殿が姿を現神社のた。


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神々しい


写真では判らないけれど、雨に濡れた屋根から、初夏の陽射しを受けて湯気がたなびいている。昔読んだ本に「水蒸気は日本の風景美を形作る要素」みたいなことが書いてあったことが思い出された。

しかし、こんなに静かな景色なのに、高速道路を走る車の音が途絶えることなく聴こえてくるのが何だかおかしい。これももちろん、写真では伝わらないんだけど。


「行き止まり」に辿り着けず、雨に降られてすっかり萎んでいたが、境内でぼんやりと過ごしているうちに何だか元気になって来たのを覚える。

要は、まだまだおれは「行き止まり」を意識するには早過ぎるってことなんじゃないだろうか。たださまよってるだけで。でもさまよい歩いて面白いものが見られるなら、それもそれでありかもしれないな……、なんて気持ちが湧いて来る。


いい話で締めくくろうと思ったが、


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雨に濡れたこの石段を下る勇気はいつまで経っても湧いてこなかった。


===


急な石段は、高所恐怖症のおれには辛い。そもそもこの靴では怖い。しかし神様(與瀬神社は日本武尊が御祭神)は優しい。緩い坂もちゃんと設けてくれている。男坂と女坂って呼んでいいのかな。


女坂を下る途中、雰囲気のいい林道が見えたのでそちらに寄り道して帰った。


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この神秘的な雰囲気(そして右下から這い上がって来る高速の音よ)


この日も帰ってから、やっぱり昼寝に落ちてしまったのだけど、不思議なことにきっかり30分で目が覚めて、BL小説の原稿を進めることが出来た。いつもより随分と捗った。

「脇目も振らずに頑張る」のもいいけど、そうやって行き過ぎた果てにあるのが「行き止まり」なのかもしれない。だとしたら時には気分転換も大切なのかもしれない……、なんてことを、ちょっと考えた。


でもやっぱり行って見たいよなあ……、「行き止まり」に……。


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凝りもせずまた「行き止まり」を探している

風邪が治らない(2017年のこと)

数ヶ月ぶりのblog更新である。せっかくだから去年を振り返ってから書くことにしよう。

去年は個人的にいくつかの大ニュースがあって、一年があっという間に過ぎ去ってしまった。めくるめく、めまぐるしい、そんな年だった。



水中、それは苦しい と 左右 のライブを観に行った】


もともと人の多いところが得意でなくて、音楽にもすっかり疎くなっている。そんな中にあって一昨年知った「水中、それは苦しい」と「左右」のライブに行くというのは、自分にとって間違いなく大きなことだった。

人生初ライブは三月、水中、それは苦しいの、レコ発ツアー。東京でのライブが行われる日、たまたま休日で、Twitterを見たところ当日券があるというので一念発起してリプライで予約。右も左もわからん状態で緊張しきりだったのだけど、気付けば初めて聴くロックバンドの生音に酔いしれていた。

人見知りの自分を知る人には「うそ!?」って驚かれることではあるのだが、終演後にはバンドメンバーのところへ挨拶に行き、一緒に写真を撮って貰った。

以降、水中、それは苦しいのバンドとしての公演、ギターボーカルであるジョニー大蔵大臣のソロライブにも足繁く通うようになった。のみならず、ジョニーさんの痺れるような格好良さに憧れて、三十路も半ばにしてギターを買ってきて、練習するようになっている。

左右のライブを観に行ったのは五月、こちらも左右のアルバム発売記念ライブ。元々デイリーポータルZの動画コンテンツ「プープーテレビ」にご出演だった花池さんが大好きで、このライブからひと月前、ジョニー大蔵大臣+花池さん+ギチというメンバーによる大喜利イベントでジョニーさんとの再開と、花池さんとの初対面を果たしていたのだが、音楽となるととことんまでにクールな「左右」に圧倒された。

左右の花池さんと桑原さんはともにデイリーポータルZのライター大北栄人氏の主催するコント集団「明日のアー」が昨秋上演した「日本の表面」に客演されていて、演技でも強い存在感をいかんなく発揮されていた。もちろん、これも観に行っている。

左右も、水中、それは苦しいも、もっともっと注目されてしかるべきバンドであると思う。

もちろんそんなことは、こんな辺鄙なblogでおれが言うまでもないことなんだろうけど。


【斎藤充博氏と一緒に同人誌を作った】

昨年11月に行われた「第2回WEBメディアびっくりセール」合わせで斎藤さんが頒布した新刊「BLってよくわかんないから自分を素材に作ってみた」に、BL小説家として参加させていただいた。経緯はこのblogで既に書いた通り。

自分はいまだ小説家にはなれていない人間ではあるけれど、それでも意識だけは高く執筆に励み、これまで(個人で同人誌を作っていた頃)とは比べ物にならないほど多くの方に小説を読んで頂けたことはかけがえのない経験だ。

この同人誌、まだ在庫があるみたいなので、欲しい方はぜひ斎藤さんに訊いてみてください。


【このblogがデイリーポータルZに!】

斎藤さんや、同人誌製作で知り合った井口エリさんのすすめでこのblogを書くようになったんだけど、もののためしというか、「小説以外の自分の文章ってどうなんだろう?」という軽い気持ちでデイリーポータルZの投稿コーナーに送ってみたところ、京急800形の記事が掲載されることとなった。

これには本当に嬉しく思ったし、また驚きもした。小説ではないにせよ、自分の書いた「文章」が何らかの形で評価され、多くの人の目に触れたという経験は、これまでどれほど望んでも叶わなかった願いだったから。

一方で、「ライター」という仕事の大変さ、キツさ、しんどさ、凄さ……、の片鱗も垣間見たような気持ちである。これを毎回毎回やったんだ斎藤さんたちは……、すげえ……、おれにはちょっと真似できんぞ、と(そんな次第でここんとこしばらくblogを書かなくなってしまっていた)



いろんなことがあった2017年が過ぎ、2018年を迎え、もう二月も半ばを迎えている。

去年は色々と新しい出来事があって気が張っていたのか、一度も風邪をひかずに済んだんだけど、ぼんやり過ごしていた先週、ガタガタっと体調を崩していまも風邪が治らない。年末、またひとつ歳をとって、すっかり中年、抵抗力もだだ下がりなのだ。

このblogもベッドの上で唸りながら書いている。

みなさまにおかれましては、どうぞご自愛ください。


玉子焼きをデザートにしちゃえばいいんじゃない?

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「お寿司屋さんの玉子焼きはデザートの甘味」みたいな説がある。でもデザートをご飯に乗せて食べるって、何だか妙な気もする。食事とデザートがシームレス過ぎるっていうか。


どうせなら、もっとちゃんと「デザート」にしちゃえばいいんじゃない?


そう思ってやってみたら、BL小説家を目指す自分を見つめ直すことになりました。


===


◆料理は苦手じゃない


普段から家で料理をしている。そんなに手の込んだものを作るわけじゃないけど、まあ、一般的な飯のおかずを作ることにはそれほど苦労しない。


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しっかりめに味をつけたナポリタン


「玉子焼きをデザートにしよう」と思い付くと同時に頭に浮かんだのは、「プリン」だった。プリンなんて作ったことないけど、要は玉子を甘くして固めたものだろう。それなら玉子焼きの卵液にちょっと手を加えたら簡単に出来そうだ。


早速、簡単なプリンのレシピを読んでみる。

材料は大体こんな感じだ。


卵 2個

砂糖 50g

牛乳 250cc


うむ。冷蔵庫の中のものだけで作れそうだな。

早速準備に取り掛かろう。

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玉子を2個に


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砂糖を50g(うちは黒っぽいお砂糖を使っています)


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牛乳を……


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にひゃくごじゅ……


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……


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みかん味のフルーチェ


えらいことになってしまった。「料理は苦手じゃない」なんてどの口が言うのか。いやしかし、曲がりなりにも玉子だ、火を通せばちゃんと固まってくれるはずだ。

そう自分に言い聞かせながら、火を入れる。


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玉子焼きじゃなくてプリンだからバターを溶かして


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卵液を入れて……


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離乳食?


わかってたさ……、固まるわけがないじゃないか、明らかに牛乳の量が多すぎだもの!

しかしプリンのレシピの通りに作ったんだ、これは形こそ違えどプリンである、誰が何と言おうとプリン以外のなにものでもない。

試食してみる。




……考えてみるとおれ甘いもの好きじゃなかったな。友達が甘い飲み物すごく好きで、一口もらうことがあるんだけど、いつも甘すぎて震えている。たぶん甘いものへの耐性が人より弱いんだろう。甘すぎるものを食べると震える。甘すぎて苦味さえ感じる。めまいを覚えて畳の上に倒れ伏した。


完全に失敗だ。



◆トライアゲイン


とはいえ「失敗だ」で終わらせるわけにはいかない。

何でって、さっきの試作品を作るのに使った卵液は全体のごく一部。まだトータル300ccは残っている。


どうにか起き上がって(ほんの少量食べただけで胃もたれがすごい)冷静に考えてみる。課題は主にこの二つだろう。


1.牛乳の量が多すぎた

2.砂糖も、あったかい玉子焼きを作ることを考えると多い


ひょっとしたら「3.アイディアに問題がある」という看過しがたい点が失敗の原因なのかもしれないけれど、ぼくが普段から書いている小説もそうだ(ぼくはBL小説家を目指しています)

多少アイディアに問題があっても、書きようによって面白い話にすることが出来ることは経験上、判っている。

問題は「その出来上がったものを投稿しても賞に引っかかったことが一度もない」ということなのだけど、それはこの玉子焼きとは関係ない。


さて、二つの問題を同時に解決するにはどうすればよいか。


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玉子を追加すればよい


玉子を新たに2個増やして、これに先ほど作った卵液を加えることで味と固まりやすさの両方を一挙に解決出来るのでは……?

卵液の量は、なんの根拠もないけど100ccにしてみよう。


菜箸でよーく混ぜて、再び鍋を熱してバターを溶かして、いざ再戦!


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おっ!


薄焼き玉子らしきものが出来てきたぞ!


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後で気が付いたけど鍋の使い方間違ってるな……(たぶん奥にカタマリを寄せて手前に卵液を入れるんだと思う)


二回、三回と薄焼き玉子を巻いていくうちに、どんどん「玉子焼き」の体裁をなすものが出来上がっていくではないか。

しかし漂う匂いはすごく甘い。見た目は玉子焼きなのに甘ッたるい匂い、五感の中で起きるパラドックス。しかし今は視覚と嗅覚が一対一で真っ向から対立しているけれど、味覚が加われば多数決で納得行くものになるはず!



◆実食!


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奥の小皿はカラメルソースですがこの後固まって使い物になりませんでした


どうだ。

見た目は完全に玉子焼きだ。

ちょっとゆるくて色白だけど、でも、これは玉子焼き以外の何物でもない。

だが問題は味だ。さっきみたいに甘すぎたらどうしよう……? 恐る恐る、口に運んでみると……。


あったかいプリンだ。

ちゃんとカスタードの味だ。

でも食感は玉子焼きだ。


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断面もこの通り


大成功である。「デザートになる玉子焼き」がここに完成した。当初のアイディアの問題を、後付けの思い付きによって見事に克服することが出来たので大満足である。


ただ、これ一切れで十分だな……、だっておれ、甘いもんそんな好きじゃないから……。


===

 

◆でも甘いもんそんな好きじゃない


BL小説家を目指す上で、ぼくが超えるべきハードルは多い。歳も歳だし、そもそも男だし、このところ「ほんとになれるのかな……」と不安になるシーンが増えた。思いつくネタ思いつくネタ、「こんなのBLで書いていいの?」みたいなものばっかり。それでも必死に知恵を絞って書き上げて、賞に引っかからないなりに、少しずつ投稿先の編集者さんから褒めて貰えることも増えた。

思いつくネタというのはぼくの中から生まれてくるもの。そしてそれをどう料理して作品に仕上げるかというのも、ぼくに委ねられている。ネタがBLとして奇妙なものばかりになりがちなところは、やっぱり技術を磨いてカバーして行くのが大事なんじゃないか。

今回のチャレンジは、ネタから作品へと至るプロセスを見つめ直すいい機会になりました。


むりやり小説の話で締めようとしてるのは、まだ大量にある卵液をどうしたらいいのかというアイディアが全く浮かばないからです。


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誰かぼくにいいアイディアをください

京急の800形が可愛すぎてやばい。

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夏の夕方ド順光で白が映える(仲木戸


首都圏の大手私鉄の一つ、京浜急行(以下「京急」)は鉄道ファンの中でも特に人気があるようだ。ぼくはもともと京王線沿線で暮らしていたのだけど、数年前に友人が京急沿線に引っ越してから頻繁に乗るようになり、すっかりその魅力にとりつかれてしまった。

特に800形という車両の可愛さに、すっかりメロメロなのだ。

===

◆800形が可愛すぎる

京急の電車には「快特」という種別がある。品川を出たら、次は京急蒲田、その次が京急川崎、横浜……、主要な駅だけ停まる速達性に加えて、ラッシュ時を除けば「2100形」という二人がけシートがズラリと並ぶ特別な車両を使って運用される、フラッグシップである。

しかし、今回ぼくが取り上げるのは「800形」という電車である。
この電車が、ものすごく、可愛いのだ。


◆800形は顔が可愛い

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発車を待つ800形(京急蒲田

これが800形である。いや、800形ちゃんである。
まるみを帯びた顔の、おでこに前照灯
京急のイメージカラーである赤を纏いながら、額縁型に白を配して、暑苦しさは全くない。
運転席の窓も大きくて、視界良好。
そして裾に二つあるテールランプ。
800形ちゃんは1978年生まれ。40年近く前とは思えない、可愛らしいデザインではないか。
詳しくないのであまり言うべきではないと思うんだけど、「ハッカドール3号」に似てはいないだろうか、いや、色ではなく、顔立ちが……。
これ言うんじゃなかったな、共感されたことがないんだ。


◆800形ちゃんはドアが可愛い

800形ちゃんは首都圏の通勤電車で一部の例外を除き「唯一」の装備を持っている。

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それが、この「片開きドア」である。

あなたがふだん乗ってる通勤電車のドアを思い浮かべてほしい。真ん中から左右にパカッと開く「両開きドア」ではないだろうか?
この「片開きドア」は、はっきり言ってしまえば古い。ラッシュ時には一刻も早くドアを閉めて発車してしまいたいところ、ドアの開閉に両開きドアより時間がかかってしまう。だもので、現在ほとんどすべての通勤電車は両開きドアを採用している(江ノ電など例外もあります)
しかるに1978年生まれの800形ちゃんは片開きドアを備え、現在も現役の通勤電車として活躍しているのである。

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窓とドア窓のバランスも絶妙でしょう。あと椅子のカバーがブルーなのもいいよね〜(多分京急川崎付近)


◆800形ちゃんはスペシャリスト可愛い

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通過待ちをする800形ちゃんの後ろ斜め45度(生麦)

800形ちゃんは現在(ダイヤの乱れなどが起こらない限り)「地上線の普通列車専用」で運用されている。
これはどういう意味かと言うと、「品川〜京急蒲田金沢八景新逗子浦賀京急久里浜」の区間を各駅停車で走る電車にしか使われないということ。京急蒲田から羽田空港に向かう空港線は途中駅にホームドアが設置されて以来、ドアの数が他の車両と違う800形ちゃんは入れなくなってしまったのだ(それ以前は羽田空港の地下駅に出入りする800形ちゃんの急行はあったし、更に言えば羽田空港の地下まで京急が乗り入れるようになる以前は京急蒲田羽田空港旧駅の間を800形ちゃんが往復していた)
また正面に非常用出口が設置されていないので地下鉄浅草線との接続駅である泉岳寺にも入れない。また京急川崎から枝分かれする大師線にも、4両編成までしか入れないため、6両編成で一組の800形はやはり入れないし、京急久里浜から先、終点三崎口までの区間も多分現在は足を踏み入れてはいないはずだ。
また、エアポート急行、特急、快特といった通過駅のある種別に使われることも(ダイヤ乱れのときを除けば)ない。結果として、普通列車専用の、言ってしまえば地味な存在である。
しかし、800形ちゃんはその仕事のスペシャリストなのだ。
起動加速度3.5km/h/sという加速性能を備えている800形ちゃんは駅を出るなり素早く最高速度まで引っ張ると、すぐさま減速して次の駅へと滑り込む。短距離の加速→減速が必要とされる普通列車には、加速に時間を要する他の車両よりも適しているのだ。
この性能ゆえに、すぐ後ろを快特エアポート急行に迫られながらも、追い越し設備のある駅まで逃げ込むことが出来る。
可愛い顔してハイスペックのスペシャリスト、もはやこれは萌えの塊と言ってしまっていいのでは。


◆復刻800形ちゃんもとても可愛い

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もちろんノーマル800形ちゃんも可愛い(日ノ出町にて)

現在は赤いボディに白い細帯というサイドビューの800形ちゃんだが、デビュー当時は窓周りを白く塗った鮮烈なカラーリングであった。
しかし800形ちゃんのデビューから4年後に登場した、「快特専用車両」である2000形が同様のカラーリングで登場すると、この塗り分けは快特専用車の代名詞となり、800形ちゃんは在来車両と同じ、現行の「赤地白帯」に塗色変更が施されてしまった。
しかし時は流れ2016年。かつて「快特専用」だった窓周り白のカラーリングが、いつしか後発の電車に当たり前のように施されるようになったのみならず、「快特専用」から退いた2000形に復刻企画として窓周り白カラーリングがなされるようになっていた中、とうとう800形ちゃんにもあのデビュー当時の晴れ姿を披露する時がやって来たのだ。

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これが2000形の復刻塗装(仲木戸

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そして800形ちゃんの復刻塗装! パスモキャンペーンのステッカー付き(京急蒲田

顔は以前と変わらず美白の800形ちゃん、サイドビューもビビッドな赤白ツートンカラーリングとなって、明るく軽やかで爽やか!

春先にはキャンペーンで「京急ラブトレイン」車両としてラッピングされていました。可愛すぎる。


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「ラブリー」以外の言葉が思いつかない(日ノ出町

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◆残り時間は短くても

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後続のエアポート急行から逃げるために俊足スタンバイ中(京急鶴見

かように愛らしさの塊のような800形ちゃん、しかし既に製造された車両の半分は廃車されてしまっている。デビューから40年、というのは人間で言ったらそろそろリタイアという時期なのである。

しかしまだまだ京急普通列車で自慢のスプリント能力を披露している800形に乗ることは可能! この記事を読んでくれた皆さんは、是非とも彼がまだ元気でいるうちに強烈な加速性能とフォルムからほとばしる愛らしさを味わいに、京急沿線へと足を運んでみてはいかがでしょうか。

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「第二回ウェブメディアびっくりセールの会場は京急蒲田だよ〜」(京急蒲田

斎藤さんの結婚式の二次会にBL小説家志望として行ってきた。

さる11月11日、ウェブライターで指圧師の斎藤充博さんの結婚式が催された。ありがたいことに二次会にお誘いいただいたので、ふるえながら参加してきた。

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◆斎藤さんのBL小説を書いていた

ウェブでよみものを嗜む人々にとって「斎藤充博」は見慣れた名前だろうからわざわざ紹介するのはやめよう。愉快で元気で時々つらい35歳である。斎藤さんとぼくは同い年で、知り合ってかれこれ6年。とはいえ相変わらず敬語でやり取りし合っているから、「友達」なのかも判然としない。ただ、ぼくは斎藤さんが昔から好きなので、斎藤さんにもぼくをもっと好きになって欲しいな……、と思っている。
そんな斎藤さんが突然連絡をくれたのは今年の春のこと。

「おれを主人公にBL小説を書いてくれませんか、そういう同人誌を作りたいので」

このへんのことについては、既に斎藤さんがここ(http://nlab.itmedia.co.jp/nl/spv/1711/02/news005_0.html)でガッツリ書いて下さっているんで、全体的なことについては書かない。
紆余曲折あって、本は無事に刷り上がった。しかしイベントは11月18日、本の刷り上がりは11月の初旬である(この時期に斎藤さんがTwitterに本の実物を上げていた)普通、即売会に合わせて印刷所に本を頼むようなときは、イベント当日に会場へ直接搬入ふるもんなんだけどな……。
ぼくを含む参加者たちは訝っていたと思う。その上斎藤さんが、
「この本、結婚式の二次会で参加者に配ります」
こんなことを言い出したときに「あんた何言ってんだ!」って思ったの、たぶんぼくだけじゃなかった。

ここでぼく自身のことを少しだけ書かせてください。
ぼくはBL小説を書いている。趣味で書いているのではなく、本気で、プロになりたくってBL小説を書いている。でも現状、なれていない、なれる気配がない。
たくさんの人に読んでもらいたい、そう願って書いている。でも書いても書いても、リアクションは薄くって、つらい。同人誌作りも費用対効果が悪くてやめてしまった。
そんなぼくに斎藤さんが「小説を書いてくれ」と言った。依頼をされたとき、ぼくは即諾したのだけど、最大の理由は、
「斎藤さんに小説を読んでもらえる!(以前、斎藤さんに取材をして小説を書いたことがあって、その完成原稿を送ったんだけどどうも読んでくれていない様子だ)」
と思ったから。それぐらい、感想に飢えていた。

それをまさか、結婚式の二次会で参加者に配るとは。っていうか依頼された段階では、斎藤さんが結婚してるなんてことも知らなかったんだけど!
怖いな、と思う反面、
「こんなにたくさんの人に読まれるの初めてだ」
って、興奮を催している自分がいるのも事実。だってぼくは、読者さんが欲しかった。喉から手が出るほど欲しかった。
でも、やっぱり怖い。

そして迎えた斎藤さんの結婚式の二次会当日。到着したぼくを出迎えてくれたのは、
「これ、引き出物……? 引き出物っていうか、おみやげです」
という言葉とともにお手伝いの方から手渡された、刷りたてほやほやの新刊同人誌、
『BLって何だかわかんないから自分を素材に作ってみた』
である。
感動か、興奮か、それとも恐怖か判らない震えを催しながら会場となったレストランに入ると、……場内のほとんどの方が、『BLって〜』を手に持ち、ページをめくり、あるいは読みふけって、いる。
ぼくの小説を読んでくださっているのかは、判らない。でも、その本には間違いなくぼくの書いた小説が載っているんだ。
小説原稿を書き上げてから随分経つけど、当時の苦労が少しだけ蘇り、形になる前に溜息に混じって消えて行きそうな気持ちだった。


◆「ナマモノBL」なんて書くの初めてだった

斎藤さんに「ぼくを題材にBL小説を書いてください」と言われて、読者さん欲しさに請け負ったはいいけど、ぼくはこれまで「ナマモノBL」なんて書いたことも読んだこともなかった。そういうものがあるらしいぞというのは知っていたけれど、実際ぼく自身が三次元の誰かに、執筆へ向かわせるだけの強烈な「萌え」の感情を抱いた経験はほとんどない。
そこへ来て、自分と同い年の、要するに「おっさん」に「おれをBLの主人公にしろ」と言われたのだ。冷静になるにつれて、指先が冷たくなるような気持ちに陥る。
不安を口に出せないままでいるうちに、斎藤さんが玉置標本さんに相手役のオファーを出してくれてしまった。玉置さんの記事はたくさん読ませて頂いてきたけど、ご本人とお会いしたことはただの一度もない。雰囲気も判らない。どうしよう? でももう後には引けない、「玉置×斎藤」小説を書かなければいけない。
これは、率直に言おう、大変だった。
そういうBLが好きな方も多いからこんな言い方しちゃいけないんだけど、ぼくは「おっさん」に萌えることはない。可愛いのが好きで、言ってしまえばショタコンでありロリコンである。そんな男がおっさん同士のBLを……?
斎藤さんは可愛らしい顔をしている、玉置さんは目鼻立ちくっきりで男らしい。しかし、しかし、……おっさんはおっさんじゃないか……!

ぼくにとって救いだったのは、玉置さんのこの記事(http://portal.nifty.com/kiji-smp/120315154293_1.htm)だった。
そもそも、玉置さんと斎藤さんは「TANDEM」という、二人羽織のバンド(記事読まないとよくわからんだろうけどそういうバンドがあるんですこの世には)のメンバー同士なんだ。しかもこのときの二人はプロのメイクアップアーティストさんの手によって、まるでマンガから出てきたみたいにお美しくなっている。これだ!
筆が進み始めた。ぼくの脳内のおっさん二人が、物憂げでナイーブなヴィジュアル系バンドの二人に変身して、もどかしい思いを輝きとともに解き放ち始めた。作中にはデイリーポータルZ編集部の古賀さん・安藤さん・石川さんのお三方にも登場して頂いた。特に古賀さんは、一歩を踏み出せない作中斎藤の背中を押す、姉御的な役を担って頂いた。自分はおっさんのみならず女性を書くのも得意ではないんだけど、古賀さんは上手に書けた……、と自負している。
かくして、小説は完成した。

苦労というほどでもなかったな、小説を書こうと思ったらもっとしんどいことも、いくらだって起きる。でも書いたものを読んでもらえたとき、その苦労は一瞬にして報われるのだ。

会場を見回すと、やっぱりたくさんの人が本を読んでくれている。夢みたいな景色だった。もう、この景色を見られたら帰ってもいいぐらいだ……、そう思ったけど、斎藤さんのBL小説を書いたぼくにはもう一つしなければいけないことがあった。



「あの、あの、は、は、はじめまして、小説を書かせていたただだきました村岸健太と申します!」
ハイボールを流し込んで勢いのままに、ぼくは同じ本に可愛い斎藤さんの漫画を寄稿された米田梅子さんと共に、白いドレスの女性にそう挨拶をした。丁寧さを心がけた結果、挙動不審を二歩も三歩もオーバーしたような状況のぼくを見て、にっこりと、美しく微笑んでくださった。
何をお話ししたか、よく覚えていない。なんだか、ぼくはただただ「すみません、本当にすみません」と謝っていた気もするのだけど、それも定かでない。確かなのは、この女性がぼくの書いた「斎藤さん受の小説」を読んでくださって、しかもとても心のこもった書評を寄せてくださったということ。
そして、……この白いドレスの可愛らしい女性が、斎藤詩織里さん、斎藤さんがお嫁さんである、ということ。

「嫁に書評を書かせよう」
本作りの最中に斎藤さんが言い出したときには、冗談抜きで「何言ってんだあんた!」と声に出してしまった。そもそもぼくは原稿依頼を頂いた段階では、斎藤さんが既に詩織里さんと入籍していることなど全く知らなかったのだ。
「面白がってくれてたみたいだから」
って、そりゃ一応そうは言うでしょうよ、でも内心はどうか判らない。自分の夫になる人が、自分以外の男と……。
いつかお会いするときが来たら、何て言えばいいんだろう? ずっとそう考えていて、この結婚式の二次会がその場になると定まったときにはもう、何か月も前から緊張していたほどだ。本当は怒ってるんじゃないか……? 

詩織里さんは怒っていなかった(いや、本当は怒っていたのかも知れないけど、それを見せまいとしてくれていたのかもしれない)
ぼくにとってはそれが、何よりも一番幸せで、そして一番大事な宝物のような事実だった。「ナマモノBL」を「本人の依頼に基づいて」書くという行為の持つ意味の大きさに、ぼくはこのときようやく気付いたのだ。斎藤さんがこの本を、考えうる限り最も相応しくない場で参列する人々に配ろうと思った意味も。
この本は、ぼくに出来る斎藤さんご夫婦への、最大限の祝福だった。
これからのお二人が、幸せであり続けてくれることをぼくは祈っている。でも「病める時も」来ないとも限らない、考えたくはないけれど、人生には何が起こるか判らない(本人から「おれのBLを書いて」と依頼されることがあるなんて、BL小説家はきっと想像しない)
そのときに、
「でもあんな本があってもおれたち仲良し」
って思ってもらえるんじゃないか。
つまりこの本は、二人のこれからに何があろうと二人はまるで揺らぐことなく、固い絆で結ばれて歩んでいくことを、予め証明するものなのだ。
そして、それが出来るのは、どうやら斎藤さんの知り合いの中で唯一のBL小説家志望者であるぼくの他にいないらしい。
きっと斎藤さんはそう考えて、ぼくに原稿を依頼したんだろうと、ぼくは思うのだ。

===

◆余談

さすがに一流ライター斎藤さんの結婚式の二次会で、その場にいる方々の錚々たるっぷりたるや、「錚々たる」という言葉しか思い付かないような豪華メンバーだった。そんな中、数ヶ月ぶりの再会となった古賀さんはぼく(なんか)のことを覚えてて下さって、本当に嬉しかった。ご本人にも、ぼくの書いた「古賀さん」を気に入っていただけたようだ。
そして同じくDPZ編集部の藤原さんや石川さんとご挨拶させて頂く機会も得られた。これまで画面の向こうにいた方たちとこうしてお話する日が来るなんて、夢にも思わなかった。何もかも、斎藤さんご夫妻のおかげである。
斎藤充博さん、詩織里さん、どうぞ末長くお幸せに!

おまえもたまごとじ丼にしてやろうか!

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最終的に至ったカオス


 かつ丼、という食べ物があるね。パン粉の衣をつけて揚げたサクサクのトンカツを、わざわざタマネギと一緒におつゆで煮て、たまごでとじた食べ物だ。おいしい、とてもおいしい。

 関東にチェーンを展開する「山田うどん」には「かき揚げ丼」というメニューがある。これはただ掻き上げを乗せただけではなくて、やっぱりたまごでとじた食べ物である。メニューの写真には「山田の定番!」という文句が添えられている。

 お蕎麦屋さんに行けば「たぬきそば」や「コロッケうどん」や「天ぷらそば」がある訳だ。めんつゆと油は相性がいい、ということだろう。とりわけ「衣」が油を解き放ち、その身いっぱいにめんつゆを抱き締めている味に、みんな惹かれているということだ。

 揚げものをたまごでとじてご飯に乗せたら、どれでも美味しい丼になるんじゃないか。そんな気がして来て試してみたら、だいたい予想のとおりでした。

 

 

揚げ物フィーバー

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 そんな訳で我が家の(せまい)台所に集結したのは五種類の「普段あんまりたまごでとじないよね」系の揚げ物たち。

 

(1)かぼちゃ天

 天丼とか天ぷらの盛り合わせとして出て来たときには最初に片付けちゃう……、とかありませんかね? ぼくは甘いおかずがあまり得意でないもんで……。

 

(2)アジフライ

 フライ四天王の一角を担う存在。普段は特に手を加えることなくソースか醤油で立派に「メインおかず」を張ることを考えると、トンカツ→かつ丼同様の変わり身と言えそう。

 

(3)ちくわ天

 これは「天ぷら」というよりは「立ち食いそば/うどんのトッピング」としてキャラが立っているイメージ。丸亀製麺はなまるうどんでもついついいつもチョイスしてしまう。安いわりにお腹に溜まるのが嬉しくって。

 

(4)山芋の天ぷら

 スーパーのお惣菜コーナーで買ったんだけど、天ぷらの中で一番珍しかったのがこれ。山芋ってあんまり味ないでしょう、食感を楽しむものだと思う。めんつゆで煮込んで上手いこと味が染みたらおいしくなるのでは。

 

(5)ベーコンクリームコロッケ

 立ち食いそばのトッピングとして不動の地位を確立しているのはいわゆる普通のコロッケで、あれにめんつゆが合うのは知ってる。けど、クリームコロッケだとどうなるんだろう?

 

 一度に全部食べたらカロリーやらコレステロールやらがえらいことになるのは目に見えているから、それぞれ半分に切って食べます。ベースのおつゆは特に工夫もなく、おつゆのボトルに書いてある「丼もの」の通りに希釈したもの、薄切りにした玉ねぎをこれでぐつぐつやって、揚げ物を乗せて、たまごでとじるだけです。

 

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 別にそんな変なことやってるわけじゃないんだけどどこか慣れない印象。

 

 さすがに同時に全部は食えないので、少しずつ順番に食べていきますよ。

 


かぼちゃ天玉丼

 

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 誰もいない食卓に、

「これ……、あれだな、かぼちゃの甘辛く煮つけたやつの味だ……」

 小さく独り言が漏れた。正式に何て呼ぶのか判らないけど、あるでしょう、かぼちゃを、ね、甘辛くしたやつ、あれの味です。衣がおつゆのしょっぱさを吸い込んだ結果、あの料理に非常に近い味になっている。ぼくはかぼちゃの甘さが得意じゃないんだけど、ここまでしょっぱくなってればまあ……、食べられなくはない。ただ何だろうか、……精進料理感があるな。ちょびっとでも肉か魚の破片が入っていればそれだけでグレードアップしそうなんだけど……、かつ丼や天玉丼の幻影がちらつく。

 下手するとこれ全部同じこと考えちゃうんでは。薄っすらとそんな懸念がよぎる。

 

おいしさ    ★★☆☆☆

寂しさ     ★★★★☆

別の料理感   ★★★★☆



アジフライ玉丼

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 アジフライはタテに半切りにした(そうしないと茶碗に収まらない)んだけど、きっとかつ丼のトンカツみたいにもうちょっと細かく切ってからとじたほうがよかったんだな。えらく荒々しい見た目になってしまった。ただかぼちゃ天丼のときに感じた「肉か魚が欲しい」という気持ちに対してはこれ以上ないアンサーとなっている。

 だが、一口食べてみて驚いた、しょっぱいのだ。

 ……これはきっと下味の塩コショウの味なんだろうな。もとから味のついているものをめんつゆで煮込んだら、そりゃしょっぱくもなりますよ。

 でも、大きく口を開けて噛り付くと、満足感は高い。ご飯と一緒にかきこみたい、ますます細かく切っておけばよかった。それでも無理してガツガツ行くと、小骨が致命的なまでに邪魔。

 

おいしさ   ★★★☆☆

しょっぱ   ★★★★★

小骨が邪魔  ★★★★★

 


ちくわ天玉丼

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  ちくわ天が人気なのって「安いけど手の込んだものが出て来た」感があるからじゃないですかね。魚のすり身だし、食感はイカだし、しかも天ぷらだし。

 そんな訳で期待していたんだけど、やっぱりこれも一切れがでかいな。

 はむ、と噛んでみる。

 一瞬、イカ天がそこにいた。

 すぐにそれが錯覚だと気付かされる。ちくわの香りがムンとしてくるのだ。考えてみるとこれまで「ちくわとご飯」って組み合わせあんまりしたことないな。炊き込みご飯にちょっと入れるぐらいか。そう言えばちくわってこう見えて結構個性が強い味と香りがするんだったっけ。

 そんな印象です。

 

おいしさ   ★★☆☆☆

イカの幻   ★★★☆☆

胃もたれ   ★★★★★

 

 ……小さめの茶碗で食べているとはいえ、そろそろ揚げ物が胃にもたれてくるお年頃である。昼飯はこれぐらいにして、残りは夜に回した。


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家人が半分ずつ残った揚げ物をカレーに乗せていた。


後半戦行きます。山芋天とクリームコロッケを、二人分まとめて調理。

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山芋天玉丼

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 山芋の素朴な風味が消えてしまったのが残念で仕方がない。「山芋って火を通すとさ、ほっくりしてさ、優しい風味が残ってて……」って、誰に対してか判らない言い訳を口走りそうになる。ほとんどめんつゆの味の、ほくほくした何か。そんな中にあってわずかにぬめりが残っているのが、かえって寂しさを感じさせる結果になってしまった。

 

おいしさ   ★★☆☆☆

山芋感    ★☆☆☆☆

残念さ    ★★★★★

 


ベーコンクリームコロッケ丼

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 だいぶ上手く行っていない中で、気持ちも後ろ向きになり掛かっていたんだけど、これは一口食べて「んん!」と思わず膝を立てた。そのまま立ち上がるほどではないけれど、これはイケる。クリームコロッケってもともと濃い味で、そこにめんつゆが加わるとしつこくなるかなって心配してたんだけど、むしろここへ来て初めて味が拮抗する感覚があった。めんつゆってこうしてみると結構強いあじだったんだな。アジフライはしょっぱくて、「しょっぱい×しょっぱい」の相乗効果で駄目だったけど、別ベクトルの濃さならめんつゆと対等に渡り合える。

 クリームコロッケにはめんつゆがよいのかも知れない。

 

おいしさ   ★★★★★

濃さ     ★★★★★

バランス   ★★★★☆

 

 

 ここでこの企画終えてもいいかなと思ったんだけど、数日後家に帰ったら家人が買って来た揚げ物が台所で冷えてぼくを出迎えてくれた。せっかくなので延長戦を催すことにしよう。ラインナップは白身魚のフライとハムカツ、そしてプラスアルファでもう一品。

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ハムカツ丼/白身魚のフライ丼/あげ玉玉丼

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一つずつの写真を撮り忘れちゃったからまとめて。


 まずハムカツ丼。いや、判ってたけどしょっぱいな! 

 アジフライ丼やハムカツ丼を作るにあたっては、おつゆを薄めにしなきゃいけない。それかもう、ソースカツ丼みたいなカッコにしなきゃダメだ、とにかく下味のついてるものはたまごとじ丼には向いていないと思います。

 ただ、それを差し引いても味そのものは塩と油の合わさったジャンクな感じで、そういうのが好きな方はいいのでは。男子高校生とか。あとはまあ、肉感においてはかつ丼に負けないものを感じる。魚肉ソーセージかも知れないけど。

 

おいしさ   ★★☆☆☆

塩      ★★★★★

肉感     ★★★★☆

  


続いては白身魚のフライ、好きです。のり弁でも最後にとって贅沢にガブガブ頂きます。この「白身魚」の正体についてはこの記事を参考にしますと、どうも「メルルーサ」であるらしいですね。メルルーサってちょっと沖縄の言葉っぽさありません?

 これもしょっぱいかなーと思ったら、下味があっさりめだったのかそんなことはなく。デフォルトでタルタルソースが付いていたのでそのまま入れちゃったんだけど、これもそんなに合わないことはない。

 トータルで考えると一番優秀かもしれません。バランスもいいし、贅沢な感じがしますよ。

 

おいしさ   ★★★★★

バランス   ★★★★☆

満足感    ★★★★★

 

 

最後に、あげ玉があったんで、それも一緒にたまごとじにして丼に。あげ玉は普段納豆に入れて食べています。

 保護色……、だな。

 味も……、遠いな。

 しかししつこさだけは残るな……。

 やらないほうがよかった。

 

おいしさ   ★☆☆☆☆

まずしさ   ★★★★★

虚無感    ★★★★★

 

===

選択肢の一つとしてなら


 夫婦が共働きの家なんかでは、スーパーのお惣菜コーナーにある揚げ物って食卓に並ぶ機会もおおいんじゃないだろうか。でもたいていは「揚げたて」とは程遠い、冷めてて硬くなってて……。レンジでチンすると、今度は衣がフニャラカになってしまって。せっかくの晩御飯が寂しくなってしまう。

 しかしながら、たまごとじ丼にすると、

 (A)衣フニャラカでも気にならない

 (B)ひと手間プラスしたことによる(自己)満足感

 (C)たまごとタマネギで栄養バランスアップ

 こういったメリットが発生する(塩分量については目をつぶってもらうとして)のである。

 遅くなった夜のご飯の選択肢の一つとしては、アリなんではないでしょうか。アジフライやハムカツ以外でね。


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揚げ物大好き。

「おばあちゃんち」に記憶旅行。

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「おばあちゃんちに行く」って、小学生ぐらいの子供にとってはそれがどこであれ、ちょっとしたイベントごとだったんじゃないだろうか。都心近くにあったぼくの家は父方の祖母と同居していて、「おばあちゃんちに行く」という言葉から導き出されるのは、母方の祖母の家だ。

 祖母が亡くなって間もなく二十年が経とうとしている。その間、色々なことがあった。この歳になって幼少のみぎりに遊び回った場所を散策してみたら面白いんじゃないだろうか、そんなことを思い立って、秋晴れの日にぼくは出掛けた。

 もっともぼくにとって「おばあちゃんち」の周囲は柔らかな幼少期の思い出ばかりが蘇る場所ではないということは、あらかじめ判っていたことだ。


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つくし野駅は昔のまんま

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 ぼくの母方の祖母は、祖父と、母の姉と三人で東京都町田市に暮らしていた。ぼくの生家からは電車で五十分ぐらいか。小学生の子供にとってはそれでも十分に「遠出」である。


 

 二十何年ぶりに降りた駅前の様子は、記憶の中とそれほど変わっていないように見えた。東急田園都市線つくし野駅、平日の昼間とあって、対面式のホームは人影も疎らだ。改札口への階段を上がって行くにつれて、徐々に強烈なノスタルジーが沸き立ってくるのを感じた。子供にとっては長時間電車に揺られて、改札への階段を駆け上がって、……自動改札の向こう側に、祖母が、祖父が、「よく来たね」と笑って立っている姿が一瞬で蘇ったのだ。確か昔の東急の自動改札機は、子供料金の切符を改札に通すと、「ピヨピヨピヨ」とブザーが鳴ったはずだ。その音さえ思い出される。

 もちろん今はICカードの「ピリッ」という音が短く響くだけだが。


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 駅前の様子もほとんど変わっていなかった。写真の中央左に映っている菱形の謎のモニュメント、駅の壁に書かれた夕陽とつくしのアングルも、記憶の中のままだ。ただ駅に併設されていた書店はもうなくなっていた。一方で正面奥に見える東急ストアは、昔と変わらない姿で元気に営業している。

 祖母も祖父も伯母も、ぼくが来るといつも東急ストアで「これも食べなさいあれも食べなさい」と山のようにステーキやお刺身を買い込んでくれたことを覚えている。でも、とりわけぼくの何故だか鮮烈に覚えているのはビッグシェフというブランドの、「レモンツイン」という味のドレッシング。実家とは全然違う味で、とても気に入っていた記憶がある。これを東急ストアで買って、家に帰ってレタスにでもかけて食べてみよう……。

 そう思ったのだけど、残念ながらそのドレッシングは棚に並んでいなかった。Amazonで調べてみるとまだ製造はしているようだから、この店で取り扱いをやめてしまったというだけだろう。残念だけど仕方がない。

 東急ストアを出て、「おばあちゃんち」のあった方へと歩き出す。遊歩道のようにこぎれいな坂道を少し歩くと、駅前の外れでまた強烈に記憶がフラッシュバックした。


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 あ! ここ覚えてる! と思わず小さく声を上げてしまった。この道を、駅まで迎えに来てくれたおばあちゃんとおじいちゃんと、三人で歩いたんだ!

 夏の夕方だったと思う。

「宿題をちゃんとやんなきゃ、お父さんに怒られるよ」

 というようなことを、祖母に言われたのだ、ぼくは。

「わかってるよ、朝はちゃんと早起きして、涼しいうちに算数のドリルをやるよ」

 実際にこの子供がそういう勤勉さを発揮したのかどうかは判らないけれど、確か父に「帰って来るまでに宿題のドリルをどのページまで終わらせること」と厳しく言われていて、それが出来なかったら来年の夏休みはおばあちゃんちに行かせないぞ、ぐらいの条件を出されていたような記憶がある。父はとても厳しい人で、ぼくが夏休みに「おばあちゃんちに行く」ことにあまりいい顔をしていなかった。一方でおばあちゃんたちは優しくて、毎年一つはゲームボーイのカセットを買ってくれた。ぼくはおばあちゃんが大好きだったんだと思う。


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 ぼくがもう少し大人になった頃には、祖母たちに迎えに来てもらうまでもなく、一人でつくし野駅から家まで歩いて向かうようになっていた。よく覚えているのが、この景色だ。つくし野ぐらいになると、ちょっと歩いただけでこんな景色にぶつかる。幼心にこの景色には郷愁を感じていたのかも知れない。

 同時に思い出すのは、この畑が「芋畑」である、という事実だ。ぼくは植物にとても疎くて、畑の作物の葉を見ても、実を見なければ何を育てているか判らないのだけど、この畑は芋畑に違いない、と。

 祖母が一人でぼくを駅まで迎えに来てくれた日、この畑の隅に種芋が転がっていたのだ。祖母はそれをひょいと拾い上げて、すぐ側にいた畑の人に「もらっていいかね」と訊いた。畑の人に快諾されて、その芋は夜に煮物になったはずだけど、味はどうしても思い出せない。

 景色の細かな一つひとつは残念ながら輪郭の曖昧なものではあるのだけど、こんな風に歩いていると当時はどうでもいいとしか思っていなかったことが、湧き出して止まらなくなるのが不思議だ。

 あれは帰る途中だったんだろう、祖父と母と三人で歩いている途中、祖父の声がやたらに大きかったのが気になって、電車に乗って母と二人になったとき、「どうしておじいちゃんはあんなに声が大きいの」と訊いたことがあった。母は少し困った顔になって、「おじいちゃんは耳が遠いから」と教えてくれた。耳に悪い人は声が大きくなる、という知識をぼくが得たのはそのときだし、それからさき祖父に話をするときには大きな声でゆっくり喋るよう心掛けていた。

 人間の中にある、知識とか、情報とか。そういうものの出自は、間違いなく過去の記憶なんだな。「おばあちゃんち」の周囲にあるぼくの記憶の根っこは、どれも甘い味がするような気がする。

 

子供の体力

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「おばあちゃんち」が近付いて来た。けれどぼくの足は子供の頃に戻ったみたいに寄り道をする。横浜線の高架を見上げる道の脇に、うっそうと茂った森がある。夏休み、退屈すると一人であっちこっちへ出掛けたものだが、この森にはとりわけよく遊びに来た。「森」というのは都市部ではなかなか味わえないから、子供心に惹かれるものがあったのだろう。

 森の中に階段が続いていて、別の道に出られたはずだぞ。懐かしく思い出しながら、ふらふらと迷い込んでみたのだが……。


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 階段が、急だ。


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 足が、腰が、痛い。息が弾む。どうにかこうにか登り切ったときには、十一月だというのに汗が噴き出していた。当時は何の苦もなく駆け上がったはずなのに……、これが老化か。

 記憶の甘さに比べて、現実は少しほろ苦い。

 

自分のルーツ

 

 ところで、「おばあちゃんち」の近くには電車の車庫があった。東急の「長津田検車区」である。

 ぼくは、小さい頃から電車が大好きだった。子供の頃の夢は「電車の運転手さん」だったし、電車の形式を覚えるのに躍起になっていたし、電車を眺めていられるだけで幸せだった。そんな子供にとって、いつ行っても山のように電車が並んで憩う車庫が近所にある、というのは、そりゃもうとんでもないことで、泊まりに行けば、いや日帰りであっても、必ず足を運んでいたはずだ。


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 そうそう、この坂の途中から電車が見えただけで、すごくワクワクしていたっけ。

 

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 車両基地、というのは良いものだ。たくさんの人を乗せて、物凄い速さで駆け抜ける鉄の塊は、ともすれば無機質なものではあるけれど、車庫に並んで、ドアを半開きにして休んでいる姿には生きもののような愛嬌がある。少年期のぼくもそんなことを思っていたのかも知れない、おばあちゃんに「写ルンです」を買って貰って、車庫の電車をたくさん撮った。今見返すと酷い写真ばっかりで脱力してしまう(一部、とても貴重な電車の写真もある!)のだけど、その情熱だけは何となくこそばゆく、微笑ましく感じられるし、一枚シャッターを切るたびにジャリジャリとフィルムを巻かなければいけなかったことも思い出された。

 そういえば……、この車庫にはちょっと珍しいものがあるんだった。

 

 さっきの芋畑もそうだけど、この辺りは二十年前には畑が多かった。この車庫が出来たのは昭和54年、今から四十年近くも前のことで、当時は更に畑だらけだったことは想像に難くない。そんなエリアにある車庫ならではのものが、これ。

 

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 農耕車両専用信号、である。

 

 ……記憶が確かなら、ぼくがこの車庫に通っていた頃にはこの信号、カバーが駆けられていて実態は明らかでなかったはずだが。

 この赤と青の二灯式信号は、車庫を跨ぐ長い長い橋を農耕用のトラクターが渡るタイミングで使用される。跨線橋の上を農耕用車がひっきりなしに行き交うことがあったとも思えないけど、同時に橋の東西からトラクターがやって来るというのは都合が悪い。そんな訳で、橋の入り口に車両が到着した段階で、「押しボタン式横断歩道」にあるようなボタンを押して反対側の信号を赤にしてから橋を渡る……、という仕組みであったのだろう。実際全国でどれほどの活用例があるのかは判らないけど、遺構のレベルであってもこうして現存している姿が見られるというのは嬉しいものだ。

 

 それにしても。

 現在のぼくは高所恐怖症である。跨線橋を渡りながら、……電車の屋根を甍の波のように見下ろしていたことが思い出されるのだけど、よくそんなこと出来たよなあ、と感心してしまう。当時を思い出すようにスマートフォンで写真を撮ろうと試みるのだけど、高さが恐怖心に直結してしまってまともな写真はろくに撮れずじまいだった。

 

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 跨線橋の反対側にはもう一台の信号機。こちらは遮光の庇がとても大きいタイプで、これも珍しい。

 

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 跨線橋を渡り切ったところには横浜線の踏切がある。電車好きの子供にとっては夢のようなエリアだな本当に。けど、それだけに危なかったんじゃないか、なんてことを思ってしまう。歳をとるにつれて「速さ」というものが現実的な生死に直結していることを意識することが増えて来て、例えば「通過列車が参ります」なんて言われると思わず壁際まで退いてしまうぐらい、恐怖心を覚えるようになったので余計にそう思うだけかもしれないけど。自分が自分の子供だったら……、と考えると、ちょっと背筋が寒くなる。



昔よく遊んだ公園へ

 

 さすがに「おばあちゃんち」の正確な場所を特定されてはいけないので、そのエリアをうろつき回ったあたりの写真は載せないでおく。家がそのまま残っていて、でも、知らない誰かが住んでいる、という事実に慣れるまで、ずいぶん時間がかかってしまった。ああ、そうか、「おばあちゃんち」は借家だったんだなあ、なんてことが大人になるとこうして理解される。

 おばあちゃんちの前まで行って思い出したのは、ぼくには「おばあちゃんち限定の友達」がいたんだった、ということ。隣に住んでいた同い年の男の子で、たまたまその子が家の前で遊んでいるのを見掛けたぼくの祖父が、「遊んでやってくれないか」と声をかけたのだ。ぼくらはすぐに打ち解けて、その日から彼の家でファミコンをして遊んだり、一緒に車庫へ行ったり。とりわけよく覚えているのが、五分ほど歩いたところにある公園でのことだ。


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 一体全体、どうしてそんなことをしようと思ったのか判らないが……。

「俳句って知ってる?」

「知ってる。五七五で作るやつでしょ」

 当時、ぼくらは小三とか小四とかだったはずだ。そんな子供が二人、公園のベンチに座って、ひたすら俳句を作って披露し合う、という遊び。せっかく公園に来て、何でわざわざ俳句なんて作ってたんだろうな、ぼくたちは。でもそれがとても楽しかった気がする。ここまで結構な距離を歩いてきて、おじさんは少し疲れたので同じベンチに座って、当時の気持ちを思い出してみようとするけれどうまく行かない。俳句を捻り出そうとしても、ちっとも良い句は浮かばない。

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 あの男の子はいま、どこで何をしてるんだろう? 「隣のおばあちゃんちに遊びに来る電車が空きな男の子」と俳句を作った記憶、残っているだろうか……?

 

 

人生には、当たり前のように色んなことがある

 

 総じて、ぼくは子供の頃、とても幸せだったんだろうな。とりわけ「おばあちゃんち」にまつわる記憶は甘美なものが多い。まだ何も知らなくて良かった。おばあちゃんが褒めてくれるから、ゲームソフトを買ってくれるからっていう理由でテストを頑張ればよかった。

 おばあちゃんが亡くなったのはぼくが高校一年生のとき。

 その辺りを境に、ぼくはこの街に寄り付かなくなった。少しずつ、少しずつ、ぼくの実家と母の実家の関係が、おかしくなり始めたからだ。それは母と父との関係が歪み始めた時期でもあったと思うし、ぼくが「BL小説家になる」などと言いだした辺りでもあった。

 詳しく書くことはここではしないが端的に言うと、ぼくが二十五歳のとき、母は下らないことで激昂した末に自殺を図り、それを防ごうとしてぼくは負傷した。それから数か月に渡り、引きこもり(と言っても、毎日仕事には出掛けていた)生活を送った末に、母から「夫から酷いことをされ、離婚したくてしたくて追い詰められていた。あなたを傷付けてしまったことを心から申し訳なく思う」という謝罪を受け入れるに至った。母に同情したぼくは父を憎み、母の出奔を手引きさえした。自分は母思いのいい息子だと信じて疑わなかったし、亡くなったおばあちゃんも喜ぶだろうと信じて疑いさえしなかった。

 しかし現実は違った。

 母は出て行くに際し、ぼくに彼女の夫がしたという悪事を滔々と語ったが、そのどれもが嘘であることは後になってから判った。どうも父方の伯母が弟(つまりぼくの父)を憎んでいて、裏で手を引いていたようにも見えるのだが、それも定かではない。何にせよぼくが事態の全体像を掴んだのは、母の出奔から一年以上が経過し、ぼく自身も実家を出た後のことだ。

 母は出奔に際し、父のお金を持って行ってしまっていた。

 そのお金でマンションを買って、今は伯母と暮らしている。……ひょっとしたらまだ健在かもしれない祖父も同居しているかもしれない。そして離婚は、未だ成立していない。

 両親の別居が始まって、来年で十年目を迎える。

 

 金の問題はさておき、現在のぼくは両親がきちんと離婚してくれることを願っていて、何度も母に手紙を送って来た。母は明らかに迷惑がっていて、やがて返信さえ来なくなってしまった。

 今年の四月、業を煮やして母が居を構えたマンションに行った。インターフォンに出たのは、幼い頃の記憶とは別人のように冷たい声の伯母だった。伯母曰く、母は「息子からこんな仕打ちを受けるなんて」と精神的苦痛を味わい、体調を崩して入院中だと言う。ぼくは「早急に離婚を成立させて欲しい。金についてはよく判らないが、あるべき場所にあるのが本当では」ということを言っただけのつもりでいたのだが、母にはそれが「息子が父の側に付いた」という意味に受け取られたらしく、相当なストレスになってしまったようだ。病状を教えて欲しいと告げて帰って数か月後、何食わぬ顔の手紙が久しぶりに母から届いた。要約すると「放っておいて欲しい」という内容だった。


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「母の実家」から一番近い横浜線成瀬駅へと歩きながら、「おばあちゃんち」の記憶が甘美なままであることを、ほんのり嬉しく思っている自分がいた。成瀬駅には当時「そうてつローゼン」と「ユニー」という二つのスーパーが軒を連ねていて(「そうてつ」のみが現存)伯母の運転する車で買い物に来た。二階におもちゃ屋さんがあって、そこでゲームソフトを買ってもらったんだったっけ。


 そう思って二階に上がってみたけれど、フロアの大半はドラッグストアと本屋に変わってしまっていた。

 テナントが変わるように、気持ちも変わって行くものなのか、と少し陳腐な感傷に襲われた。

 

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母の件がこれからどうなるか判らないけれど

 

 ぼくは小学校四年生のときからずっと、小説家を目指している。二十五年近くやって来て、いまだその夢を叶えられていないのだけど、じゃあ何で小説家になりたいと思ったか、というと、当時読んだ久美沙織さんの「小説 ドラゴンクエスト5」に感動したからだ。人生で初めて「小説を読みたい」と言ったぼくにその本を買ってくれたのは母方の祖母であり、祖父であり、伯母であった。

 そしてそもそも、ゲームソフトの「ドラクエ5」をぼくに買ってくれたのも「おばあちゃんち」の人びとだ。

 ぼくは「おばあちゃんち」で得たものから生まれた夢をずっと抱えて生きている。


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 苦難の末に成長した主人公が、まだこの先何があるか知らない幼き日の自分に会いに行く、というシーンが、ドラクエ5にはある。幼い主人公に向けて、成長した主人公はこう言うのだ。

「この先どんな辛いことがあってもくじけちゃダメだ」

 ぼくの人生に起きていることは、別にそんな大したことじゃない。けれど、「人生にはいろんなことがある」ということは学んだ。だから仮に、ぼくがまだ何も知らない子供の頃の自分に言うことがあったとしたら。

「おまえは大人になってからまたここへ来る。そのときおまえは、そこそこ幸せに暮らしている」

 ということを教えて、少しばかり安心させてやりたいものだ。