東京レトロポリタンク

BL小説家(志望)の男の興味の矛先。

ボートレース多摩川には天使が棲んでいる。

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こんなかんじの

 

去年、ボートレース(競艇)を始めた。

もともと競馬をやっていたのだけど、ちっとも勝てないし、応援していた馬も引退してしまったし……、しかしギャンブルスポーツはやりたいなあと思っていたところ、出逢ったのがボートレース。

始めてみたらすっかりハマって今や競馬はたまにテレビで見るぐらい、実際にお金を賭けるのはもっぱらボート、という日々が続いている。

ボートレースはいい。

6艇しか出ないのでだいたい10頭以上が走る競馬よりは当てやすいし、配当は安いが賭けるお金も少なくて済む。全国24場で365日、常にどこかで開催されているので、スマホで会員登録しておけば気が向いたとき楽な気持ちで遊べる。この会員登録もびっくりするほど簡単だった。

 

とりわけわたしの心を強く惹きつけたのは、「ボートレース多摩川」に棲んでいる「天使」の存在である。

 

 

◆なぜか美少女

 

みなさんは、「ギャンブル場」という場所にどんな印象をお持ちだろうか。

険のあるギラついた目つきのおっさんたちが、耳に赤ペン差して……、殺気立った怒号飛び交う……、鉄火場……、ざわ……、ざわ……。

競馬好きだったころはあっちこっちの地方競馬場を巡って楽しんでいたが、確かにそういう雰囲気の残っている場所もあるにはある。

しかし多くのギャンブル場のファン層は意外と若く、女性客の姿も珍しくない。若い世代の人たちにとって現在の競馬場、そして競艇場は、「鉄火場」の雰囲気が楽しめる程度には残っていて、レトロな設備も愛でることが出来る、けれど安心な遊技場……、といった位置付けが正解であろう。

 

とはいえ、

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こんな二次元美少女までいるとは思っていなかった。

 

彼女はボートレース多摩川のマスコットキャラクター、「静波まつり」嬢である。

二次元美少女の進出は、既にボートレース場にまで及んでいたのである。

 

わたしがボートレースを始めて間もないころ、それまでは開催されていない競艇場の外向舟券売り場(競技が行われる場の外にある、舟券の販売機と実況モニターが置かれた場所)に出入りしているだけだったのだが、休日がボートレース多摩川の開催日と重なっていたため、初めて実際のレースを見にボートレース多摩川へ足を運んだ。そこで出会ったのが、静波まつり嬢である。

 

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なにごとか。

 

 

◆「ボートレース×静波まつり」の活躍がえげつない

 

これは私事なのだが。

わたしは長らくボーイズラブ小説を書いていた。まったく芽が出ることはなかったのだけど、数年前ありがたいことに知り合いのライターである斎藤充博さんにお声を掛けて頂いて、(斎藤さんの結婚式の二次会にBL小説家志望として行ってきた。 - 東京レトロポリタンク)斎藤さんを題材にした小説を手掛けたことがある。これが某ニュースサイトにも取り上げられて、これまでの人生では考えられないほどの多くのかたの自分の文章を読んでいただけるという僥倖に巡り合ったのだが、あれから少ししてボーイズラブ小説に行き詰まり、悩んだ挙句美少女を題材にした小説を書くようになっていた(成人向けの小説なのでリンクは貼らない)

書く題材を変えるということは、その題材について新しく勉強するということであり、そういう類の勉強を始めて間もないころというのは新しい発見が多くてとても楽しい時期であることはご理解いただけるだろう。わたしがボートレース多摩川に初めて足を踏み入れたのは、ちょうどそんなタイミング。二次元美少女への知的好奇心が旺盛になっている時期、そしてボートレースを始めてまだ日が浅い時期、わたしは静波まつりと出逢ったのである。

 

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金髪美少女、みんな大好きですよね

 

静波まつりは年齢不詳の「アイドルレーサー」という設定である。これはボートレースのCMで大々的に言われているからみなさんもご存知の通り、ボートレースは男女の差なくガチ勝負が行われている。この美少女は可愛い顔してレーサーなのである。

静波まつり嬢がレーサーを目指し、デビューを果たし、悲願のタイトルを獲得するまでの道程はほのぼの4コマで描かれている(ボートレース多摩川オフィシャル - 特集・データ)。

「ボートレース×二次元美少女」だけでも驚きだったが、そこにほのぼの4コマまで加わるとは。とっても可愛いのでぜひ読みに行って頂きたく思う。

 

そして有名なコスプレイヤーであり、一時期はコンビニの店内CMで可愛らしいお声を披露されていた、しかもつい先日ドラマに出演し女優としてもデビューを果たされたえなこさんが静波まつりコスプレでまばゆいばかりの麗姿を披露されておられる。

ボートレース×二次元美少女×ほのぼの4コマ×コスプレ……。

 

更に、静波まつりはつい先日Vtuberデビューも果たした。

静波まつりのまつりちゃんねる

https://m.youtube.com/channel/UCg9mlxiEev-8xIg0rDAwlKA

ボートレース×二次元美少女×ほのぼの4コマ×コスプレ×Vtuber……。

 

なお、過去にはコミケコミックマーケット)に「ボートレース多摩川」として参戦! ちょっと、いやかなりセクシーな静波まつり抱き枕が販売されていたとのこと!

「ボートレース×……」が、とめどない! すごいぞ、ボートレース多摩川

 

わたしはすっかり静波まつりの虜になってしまった。

 

 

◆実況アナも選手もまつり大好き

 

ちょっと熱くなりすぎてしまった。冷静になろう。

ここで、ボートレースの競技の流れについて少しだけ、……ご存知でないかたも少なくないと思うので、ここでご案内させていただこう。

 

ボートレースは6艇によって争われる。水面に設けられた1周600mのコースを3周して、着順を競う競技だ。ファンはどの選手が勝つかを予想して舟券を購入する。

ボートレースの競技における最大の特徴は、「フライングスタート」と呼ばれるスタートのシステムである。ボートレースでは水面上にスタートラインが設けられているが、風や、場所によっては潮の流れなどの影響を受けるため、なかなか全選手が同じ線上に揃うということはありえない。これは静波まつりの苗字の由来ともなっている「日本一の静水面」多摩川とて同じ。そのため、選手たちはスタートラインから100メートル以上も離れた場所からスタート合図を知らせる大時計を睨みつつアクセルレバーを握り、大時計の針が真上、「.00」になる瞬間を目指して加速していく。内側、多くは1〜3コースの艇は「スロースタート」と呼ばれる150mより短い助走距離を取るが、外側の艇はその遥か後方「ダッシュスタート」で200m近い距離から助走を取っていく。

遥か遠くからフルスロットルで走り出した6艇が、ほとんど横一線でスタートラインを通過した瞬間がレースの開始。だいたい全選手が、大時計の針が真上を通過した直後「.15」とか「.17」とか、上手い選手になると「.08」なんかのタイミングでスタートを切る。ここでスタートが早くなってしまうと「フライング」であり、これをやってしまった選手にはペナルティが課される。

スタート時の集中力や反射神経は神がかっていて、いつ見ても鳥肌ものだ。

スタートした選手たち「ターンマーク」ごとに華麗なハンドルさばきで一つでも上の着順を目指して航走する。概ねスタートして最初のターンマークで大勢は決するのだが、それだけにそのターンにおける技の数々には見応えがある。ボートレースはコースの形状上、どうしても真っ先にターンを回れるインコース1号艇が有利な競技なのだが、2コースより外の艇が1号艇とターンマークのブイの僅かな隙間を突いて逆転する「差し」や、スタートを好タイミングで決めてインコースの艇を外から包み込んで抜き去ってしまう「まくり」、更に3コースより外の艇が自分より内の何艇かを外からかわした上で更に他の艇の懐を差して抜ける「まくり差し」といった技で攻めるシーン、……瞬き禁止の熱い技の応酬が見られる。

選手たちはひとつの場で1日に12回行われるレースのうち1つか2つに出走し、着順ごとに付与される得点を稼ぐ。概ね4〜6日で行われるひとつの「節(開催)」の前半の「予選」で稼いだこの得点上位の選手が最終日前日の「準優勝戦」に出場し、ここで上位に入着した6選手によって最終日の最終レース、その節の総決算である「優勝戦」が戦われ、これに勝利した選手がその節の優勝選手ということになる。これがボートレースの開催の流れで、一つの場で大体月に三回ぐらい開催されている。選手たちは開催場を転々としながら戦い続けるのである。

 

日々のレースのいくつかは「企画レース」が組まれている。例えばボートレース多摩川は毎日最初の1レースは「まつりだone」という企画レースで、これは1号艇と4号艇に実力上位の選手が割り振られる。また、1コースだけ、あるいは1〜3コースに実力上位選手が入る企画レースなどもあり、ライトファンにも当てやすいレースが組まれている場が多い。

ボートレース多摩川の開催最終日、優勝戦の日の9レースは、名物レースである。

その名も「静波まつり選抜戦」。

まさかまつり嬢本人が選手を選り好みして走らせているわけでもあるまいが、このレース前の実況は必聴である。

場内実況を担当するのは阿部宣祐アナウンサー。優しくて落ち着いた、とても聴きやすい声のかたなのだが……。これはつい先日行われた「多摩川蛭子カップ」最終日の静波まつり選抜戦における阿部アナの実況の書き起こし。

 

多摩川蛭子カップ、最終日。9レースは……、明日から場外発売、そして7月19日から本場発売再開予定、この報せに『ヒャッホーイ!』とTwitterで喜び爆発、しかし本日6レースの、あの出来事(フライングのスタート事故)で『ヤダー!』と……。ボートレース多摩川の、感情の起伏激しいマスコットキャラクターを冠した、静波まつり選抜戦です」

 

実況アナにまでこのいじられっぷり。実際、ボートレース多摩川Twitterアカウント(@tamagaw70816228)でハートマークを飛び散らせつつ各種情報を呟いているのは静波まつりである。多摩川で行われているレースでフライングが出ると「なにしとんねん、またFかよ」と公式なのに言葉遣いの悪いところを隠そうともしない静波まつりである。

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というか、LINEスタンプも売っている静波まつりである。

 

アナウンサーもまつり大好きなボートレース多摩川。しかし競技場のマスコットキャラクターがこんな可愛い二次元美少女であることを、選手たちはどう思っているのだろう? これはちょっと気になるところである。

 

これは今年多摩川で行われた「ウェイキーカップ」に関する記事。

徳増秀樹の嫁は静波まつり!?「一層濃く」/多摩川 - ボート : 日刊スポーツ

なお、徳増選手はトップレーサーの一人であり、つい先日「グランドチャンピオン」という大レースで優勝した際には、静波まつり選抜戦にて阿部アナを介してまつり嬢からも祝福のメッセージが送られている。

 

ちなみにまつり嬢自身はイケメンレーサーの代表格と言われる地元出身の若手トップレーサー永井彪也選手のファンなのであった。ある日の静波まつり選抜戦は、1コースに永井選手、3コースに徳増選手という対決、つまり静波まつりを巡る選手両者の三角関係レースだったのである。

このときの阿部アナウンサーがとても楽しげに実況していたことは言うまでない。場内アナウンサーにも選手にも愛されている静波まつりなのだ。

 

……余談だが、ボートレースも競艇も、そしてなにごとにつけてもそうであろうが、「推し」が出来ると一気にのめり込んでしまうものだ。わたしの場合はまず(選手かどうかは曖昧ながら)「静波まつり推し」からボートレースにずっぽしとハマってしまったが、1600人を超える現役のボートレーサーは223人の女子レーサー、最年長の高塚清一選手は何と御歳73才であり最年少の野田彩加選手はまだ16才、つまりしぶいおじさまからティーンエイジャーまで、年齢層も幅広く、きっとあなたの推したくなる選手がいるはずである。

わたしが(まつり嬢以外に)推しているのは、群馬出身の21才の若手選手・伊久間陽優(いくま・ひゆう)くんである。

伊久間くんの記事(【ニューヒーロー列伝】伊久間陽優 - サンスポZBAT!競馬

この記事にて取り上げられているレースは現地で観ていた。若手ながら豪快なまくり差しで勝った姿に痺れ、すっかりファンになってしまった。師弟制度のあるボートレース界において、トップレーサーの一人である毒島誠選手の弟子として日々果敢にレースに挑んでいるので、もし見掛ける機会があったら是非とも応援してあげて欲しい。

 

 

◆もう少しでまつりに会いに行ける!

 

今年、世界は新型コロナウイルスの被害に見舞われた。

各種スポーツにもプロ野球の開幕が大幅に遅れるなどその影響は及び、ボートレースも例外ではなかった。開催こそしていたものの、二月下旬以降は無観客で行われるレースの舟券スマホや電話で購入し、ウェブで視聴するという形での楽しみかたに限られていた。

それでも選手たちは日々水面で熱い戦いを戦いを繰り広げているし、多摩川で開催があるときには静波まつりがTwitterでキャッキャしている。

 

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じぶんの誕生日(6月9日=多摩川競艇場の開設された日)だからと舟券購入を求める、いつでも直球な静波まつり

 

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場外発売再開でひゃっほーいする静波まつり

 

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これらのツイートをこのブログに引用していいか訊いたらフランクにリプライをくれる静波まつり

 

あとyoutubeでゲーム実況する(https://m.youtube.com/watch?v=LdbOBdx6ip8)静波まつり

 

静波まつりは多摩川の水面でいつでも我々を待っているのだ。7月19日(日曜日)からはいよいよボートレース多摩川の入場門が開く。まだボートレースを観たことがないというかたにも、是非とも(あまり密にならない範囲で)ボートレース多摩川に足を運んで頂きたく思う。

そして、是非ともレース前には競技水面近くまで歩み寄って頂き、水面のバックストレッチ側のビジョンにご注目いただきたい。

ピット(出走前の待機場所)のスタンバイが整うころ、フィラー(発走前映像)の映し出されるビジョンには、思わず声が漏れるぐらいの美少女が現れるのだ。

 

「いっくよー、いちれーす!」

 

ぷりぷりと動く! 喋る! ストロベリーアイスのように甘くて可愛い静波まつり嬢の様子は是非とも現地で、みなさん自身の目で確認してみて欲しい。

 

◆まつりちゃんのホームへのアクセス

 

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ボートレース多摩川へは、西武多摩川線競艇場前駅が最寄、JR府中本町駅京王線多磨霊園駅から無料シャトルバスも便利。運が良ければ静波まつりラッピング痛バスに乗ってまつりちゃんに会いに行ける!(無観客解除後のバスの運行などについてはボートレース多摩川公式ホームページ ボートレース多摩川オフィシャルでご確認くださいませ。

 

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なお多摩川には「元祖」マスコットキャラクターの「ウェイキー」という鳥さんもいるんですよ。

月曜日でも友達でももうない/『月曜日の友達』感想文

わたしは漫画の読みかたが判らない。目に入ってくる情報を、どう取捨選択して理解していけばいいのかが判らないのだ。

 


 


阿部共実『月曜日の友達』を読んだ。Twitterに流れてきたリンク、サムネイルを見たときには、ごく乏しい漫画知識に基づく想像力を働かせ、この黒目がちな女子高生が主人公のシュールなギャグ漫画だろうかとリンクを踏んだ。読み始めてすぐに、あ、これはそういうもんじゃない、と気が付いたし、阿部共実のどこか冷淡な印象の絵は、前髪が眉の上でぴっちり揃った女の子であったり、家のカーテンをひっぺがしてそのまま巻いたみたいなストールを垂らした男の子みたいな、厄介な精神性、こだわりを感じさせた。

仮にそう思ったタイミングですぐにブラウザを閉じていたなら、わたしは息苦しい胸が苦しい感覚に長く苛まれることにはならなかった。

あれから一週間以上、『月曜日の友達』に縛られている。水谷が、月野が、胃に肺に深く爪を立てた。彼らの表情がまぶたの裏に白い粒となり浮かび、眩くてかなわない。耳の奥ではamazarashiが同作に寄せて書いた「月曜日」が、延々と頭蓋骨を膨らませる。

漫画を読む力がないということは、目に飛び込んでくる膨大な情報を処理できないということかもしれない。阿部共実の描いた話は、絵は、漫画が判らないわたしを未知の美しさで揺さぶった。

どうにかわたしに出来そうなのは、この漫画を自分の中に収まりのいい形にすることではないかと思った。

 


 


なぜこの話はこんなに悲しいのだろう、まずわたしはそこから考えた。

この悲しみはわたしだけが感じるものではないようだ。美しくって、とても悲しい。それが実質的には最終話である7話の、水谷にも月野にも、大人にもこどもにもどうすることも出来ない圧倒的な事実を突き付けられて、覚える無力感とそのままリンクする。とすれば、普遍的な悲しみと言って差し支えないはずだ。

この漫画のタイトルは『月曜日の友達』である。『月曜日「の」友達』は『月曜日「(だけ)の」友達』ということであろう。より正確を期して書くならば『月曜日「(の夜の学校)(だけ)の」友達』ということになろうか。二人はそれ以外の曜日、会話もなく、あまりに遠い。それは月野のあまりに無邪気な、しかし彼を構築するルールによるものであり、火曜から日曜までの間、手の届くところにいる少年は水谷にとって声も届かない存在である。

6話において、その枠は月野自身によって外される。月曜以外の曜日にも、昼の学校でも、二人は(火木をはじめ、他のクラスメイトも交えて)会話が出来るようになる。時間的には中学一年三学期の、わずかな期間ではあったが。

ここにおいて二人は既に『月曜日の友達』ではなくなっている。言うなれば二人は三学期、「友達」として過ごした。

それを踏まえて、7話「わたしたち、友達だよな。」「ずっと一緒だよな。」という水谷の言葉を読むとすれば、このタイトルは悲しい。タイトルの言葉がばらばらになって、二人はやがて、その名前を付けられる関係ではなくなってしまうのだ。だって水谷は東京に行く。月野は、十三歳の彼が思い描くような未来が本当に訪れるのなら、水谷の側にはいられない。二人の未来は読者が悲嘆すべきものではないにせよ、この一年間を見せられた側としては透明な悲しみの中に浸された気持ちを味わう。

8話においては、水谷も月野もいない。恐らくは次の年度の四月の景色である。ここで阿部共実は残酷な事実を突きつける。水谷が月野が、あるいは水谷と月野が、どうなったのかは知らない、ただ、同じようなこどもかまたやって来る。

UFOは珍しいものではないのだ。同じようなプロセスを辿って、仲良くなって、喧嘩をして、仲直りをして、互いを心の底から大事に思う体験をして、そして当たり前のようにそれが終わる。ちっとも珍しいことではないのだ、どこにでもあることなのだ、こんなものは、……と、筆者自身が自身の描いてきた美を普遍化してしまうのだ。

あまりに残酷な締めかたのように、わたしは思ってしまったのだが。

 


 


わたしはこの漫画を読む間ずっと、恐ろしいことが起きるのではないかという不安を抱いていた。

水谷と月野が重ねていく時間、その歩みかたが、わたしには危なっかしく思えて仕方がなかった。彼らの手にあるものは、ちょっと扱いを誤っただけで壊れてしまう。それなのに、彼らはごく無頓着な、不注意な足の運びをする。彼らの手にしたものがどれだけ大切か知っているから、どうか、君たちだけはどうか、それを最後まで壊さないで歩んで欲しい、祈るような気持ちで二人を見て、……結論から言えば、それは壊れないのだ。二人は最後までそれを運び切ったのだ。

しかし、それを見届けたわたしは絶望する。彼らが柔らかなその手で運び切ったものは、読み終えたわたしの掌の中にはその破片すらももう残っていない。やがて彼らが必ずそれを失うことになると、遅かれ早かれそれは絶対にそうなると、知っているからこそ、わたしはそれが壊れる瞬間を見たくなくて、恐れていたのだ。

 


 


この漫画には水谷と月野のほかにも、多くのこどもたちがみずみずしく描かれている。

一方で、「大人」はどうであろうか。水谷の母、姉、そして学校の教師たち、月野の父親。それらの人々はいずれも、顔が描かれていない。唯一顔が描かれているのは「ぶっとばしますよ!」と朝礼で叱声を飛ばす先生だけだが、それもごく小さくである。他のシーンでは、顔は吹き出しに隠れるか、影になって見えないか、顔の向きによって伺えない。この点は徹底されている。

では、それを元にこどもたちを見てみるとどうか。この漫画は、わたしには(そもそもモノクロなのだが)色彩ではなく明暗で描かれているのではないか、と思われた。あるいは、光と影。影が大人を表すのだとすれば、こどもは光ということになる。

作中、幾度もこどもたちに影がかかることに気付かされることになった。とりわけその機会が多いのは、作中でただ一人、「白」で描かれる月野である。

1話、真っ白な、美しい少年として月野は現れる。初めて夜の学校で水谷と出会ったときの彼は、まばゆいばかりに白い。夜の闇の黒を背に、彼は光っている。「どおおおおん!」のコマは真っ白だ。一方、影を帯びた彼の口から出てくる言葉は、大人になりたいと願う心から溢れるものである。 恐らく、特筆すべきは7話、空から降りて、この作品において最後に描かれる月野である。

ここで、月野の「髪」が初めて影を帯びる。それまで逆光の中にあっても、暗がりであっても、常に光っているように白で描かれていた月野の髪に、スクリーントーンの影が乗せられた。

色んな解釈が出来る。例えばこんなのはどうだろう。月野の髪が白く眩く見えたのは、彼が特別な存在であった水谷だけだ。とりわけ月野が、「こども」として在るとき、彼は光を放って来た。月野が水谷の夢を叶え、新しい夢を提示し、二人はおしまい。水谷にとって月野は、もう特別な存在ではなくなってしまう。だから、その髪から光が失われた。二人は『月曜日の友達』ではない『』になった。恐らく遠からずやってくる、他の友達と月野とがイコールで結ばれてしまうとき、月野の髪は水谷と同じ漆黒で描かれることになる。その変化の、最初の発現。つらいことだけれど、8話でああも鮮やかに「普遍的」という事実を突きつけて来た作者であるから、ここも容赦のない描写をすると考えるのは、自然ではないだろうか。

 


 


白と黒、というところで考えると、水谷の持つ「水玉」の要素が気にかかる。水谷は大きなリボンとヘアバンド、それから、あれは何と呼ぶのか、足首につけているあれ(としか言えない)は、いずれも黒地に白の水玉である。それは月野のボールとイメージの重なるデザインなのかと思って読んでいたが、どうもそれだけではない気がする。

4話である。夜の海辺で二人きりの花火をする、さざなみに掻かれる水面に映る二人の姿は、花火の光だけではない、二人そのものが発光しているかのように、浮かび上がっている。一人で(恐らく花火の台紙であろう)紙を燃やすときには、その光はない。しかし彼女の水玉はくっきりと白い。

黒が大人の記号、白はこどもの、だとすれば、水谷の「黒地に白の水玉」という模様は、大人の中に残るこどもの要素という捉えかたも出来るのではないか。あるいは、大雑把な言いかたになってしまって恐縮だが、……例えば、大人になっても「白=こども≒月野」を胸に留めている証とか。

白い水玉は水谷の中にくっきりと残る月野だ。水谷は大人になっても白い少年のことを、面積比ではずっと大きい大人の黒の中、より目立つものとして留め置いている。最後の一コマを除いて徹頭徹尾、どんな状況であれ白かった月野の髪がこどもの記号であったことは、疑えないように思う。

 


 


この話において「大人になる」とはどういう意味なのだろう。6話で土森が定義している。

「与える」という言葉を、3話で水谷も用いている。「月野に与えたい。」と思っている。月野を無性に愛しく思い、彼を知りたく願い続け、水谷が彼女なりの「大人」になろうともがいた、その表現の一つが火木からゲーム機を奪還するという方法であった。

愛は与えるもの、だなんて言う。愛を受けるだけではなく、与える側に立ったとき、人は大人になるのだという考えかたは納得できるものだ。妹弟に対して既にして「与える」側に立たざるを得ず、「早く働いてお金をかせぎたいものだ。」とまで言う、月野は当人が自覚するよりもっとずっと、その時点で大人であり、だからこそ影を纏う。

ただ、これは少し薄弱な気もする。水谷にハンドメイドの人形をプレゼントするとき、木陰でありながら月野は白い。

プレゼントで言えば、7話のチョコレートだ。この少女は一ヶ月前には月野にチョコを渡していないのではないか。そういう行為に手を染める友人たち(主に土森)を見ながら、「みんな大人だ私には出来ない」なんて思いつつも、しかし月野に何らかのものを与えなければいけないのではないかと葛藤していたのではないか、という想像は胸が苦しくなるほどいとおしいが、それはそれとして、チョコレートを差し出す彼女の顔は、無垢な光を帯びて煌めいている。

同時に水谷は、その直後に月野と同じ影を帯びる。自分の手作りのチョコレートを口にした月野に、「私にも。」と請うときの顔は描写されない。

この作品の中で用いられた言い回しをするならば、「間接ちゅー」である。火木の飲みかけを奪ってでも、月野が誰かと間接ちゅーするのを妨害したかった水谷は、月野と間接ちゅーすることを望んだ。

二人は、精神的肉体的というよりは、もうちょっと生々しい意味で、大人になってしまった。水谷に二度抱きつかれて、だらんと垂れていた月野の腕は、最後には控えめに、それでも水谷に「私を包むその胸は厚くかたく温かく、雄大で。」と表現させうるほどには力強く、彼女を抱きしめ返した。

そのときを境に月野だけではなく、水谷も同じようにその白さを失う。声の低くなった月野も、彼とキスをしたいと願い、叶えてしまった水谷も、もうこどもとしてはいられない。『月曜日の友達』ではいられない。

生きているだけで前に進んでいく。水谷が願っても月野は大人になってしまうし、水谷自身もそれは同じだ。そういう夜に彼女が考えたこと、あるいは彼女の回想したこと、「青く青く、」「騒がしく騒がしく、」「静かに静かに。」は、二つの声が重なって絡まり合って響くようでもある。

 


 


『月曜日の友達』でなくなった二人はどうなるのか。

これは普遍的な話である。

それゆえ常にそうなる、と決め付けるわけでもないし、こどもっぽい「そうだったらいいのにな」ぐらいの話に過ぎないが。

髪の黒くなった月野の側に、水谷はいる。

二人で壊した『月曜日の友達』という関係なのだ。そこから先は、二人が決めればいい。

『月曜日の友達』でないならば、もう、水谷と月野は何にだってなれる。『水曜日のダ○ン○ウン』『金曜日の○○たち』にだってなることができるし、なりたくないなら何にもならなくていいのだ。もちろん、二人一組でいなくともいいのだが、いたければ一緒にいて、こっそりと、もっとも相応しい二人の名前を、また幼稚な秘密のように名付ければいいと思うのだ。

水谷に懐いている妹弟が。

水谷をずっと案じてくれていた土森が。

二人が永の孤独から引き摺りだした火木が。

地味な日向が。

あと、なんか名前忘れたけど先輩もたぶん。

もはや秘密でも何でもない二人の、もう何度繋いだって奇跡を起こせない手が繋がれるのを見て、幸福を与えられたような気になる、そんな『』になったっていいのである。

ちっとも特別な二人ではない。二人だけで在り続けなければいけない理由もない。三人でも四人にでも、五人にでも六人にでもなればいい。

なって欲しい。

二人には、幸せになって欲しい。それが意図されるものではなく、また永遠なものではなかったとしても、短くともあと二年は、二人に幸せな時間が続きますように。

大人になっても。

 


 


こうしてわたしはどうにか、この美しい物語を、少しも美しくないわたしの輪郭の中に少し収めることができた。これはわたしの中の、極めて気持ち悪いことは自覚した上でもまばゆい希望である。

さよなら、800形。

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さよならぼくの大好きな電車


随分前のことだけど、京急の800形という車両が好きすぎて、どこがどう好きで可愛いのか、思いをぶつけるだけぶつけた記事を書いた。

http://kentamuragishi.hateblo.jp/entry/2017/11/15/205953

この記事がなんだかたくさんの人に読んでいただけて嬉しかったのだけど、この記事のラストで、ぼくはこう書いている。


「デビューから40年、というのは人間で言ったらそろそろリタイアという時期なのである」


この言葉を書いた日から一年半余り、800形の最後の1編成が引退を迎えようとしている。最後に残ったのは、赤い車体に白い細帯のベーシックな塗装の800形ちゃんではなく、窓周りを白く塗ったデビュー当時の塗装に戻った「復刻版800形ちゃん」である。


何事につけ、オタクというものは自分に「刺さった」対象については際限なく尊んでしまうものだと思う。俳優、歌手、二次元のキャラクター、……それこそ無機物であれ、「愛しい」と心に火の手が上がったらもう、容易に消し止められるものではない。

その一方で、愛しい人・キャラ・ジャンルとの「別れ」の悲しみは、燃え上がった思いの分だけ深い悲しみとなる。バンドなら解散や活動休止、漫画の連載終了、……最近ではソシャゲのサービス終了なんかもここに並べていいだろう。

鉄道オタクにとって、「推し(推し車両)」との別れは即ち「引退」である。大手私鉄を引退した車両が地方の鉄道に譲渡されて、まだまだ現役で頑張るというケースも少なくない。どこかに譲渡されて第二の人生を送っているなら、それがどこであろうとまだ元気な姿を見ることもできようが、多くの場合はそれも叶わない、「永遠の別れ」である。



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幸福なことに、京急を引退したあとも香川県高松琴平電鉄で第二の人生を送る旧1000形


もう、800形ちゃんに会えなくなってしまう。


長らく京急沿線とは縁のない人生を送ってきたのだけど、五年前に友人が蒲田に住むようになって以来、京急に乗る機会が増えた。中でも嬉しかったのは、もはやほとんど見ることが出来なくなった片開きドアを備えた800形ちゃんと出会えたことだ。800形ちゃんのどこがいいか(愛らしい顔と独特なスタイル、しかし強烈なハイスペックぶり!)については冒頭にリンクした記事にて書いたのでここでは割愛するけれど、とにかくぼくは800形ちゃんの虜だった。

それこそ鉄道車両を「800形ちゃん」などと呼んでしまうほどに。


大好きな彼の引退を知って、ぼくに出来ることはそう多くもない。貴重な休日を彼に捧げ、その姿を写真に収めることだ。要するに、鉄道車両の引退に伴ってファンが大勢撮影に訪れるっていうアレを、800形ちゃんためにこそ自分もやってみようと思ったのである。


驚かれるかもしれないがここまで前置きである。浅い鉄道オタクに過ぎず、高校時代は写真部部長だったものの、ここ数年はスマホでしか写真を撮っていないぼくは、はたして800形ちゃんの最後の姿をかっこよく記録することが出来たのだろうか。



◆5月21日


梅雨まではまだ間があるというのに、お世辞にも「撮影」に適した日とは言い難い空模様。西の方では大雨警報、関東も叩きつけるような雨。前日の仕事上がりから準備万端整えていたものの、強い風に煽られた大粒の雨で駅に着くころにはもう、ズボンの裾はビショビショ。

とはいえ、「残り少ない日々の中で最後になるかもしれない大雨をつんざいて走る800形ちゃん」の姿というのもきっと絵になるはずだ。そう自分に言い聞かせつつ、改札をくぐる。800形ちゃんがいま京急線のどこを走っているのだろう?


ぼくみたいな素人にはいつ800形ちゃんがやってくるかは判らない。運任せにどこかの駅のホームでただひたすら待つというのは辛い。

そこでとても役に立つのが、インターネット上で公開されている「運用情報」だ。


京急線運用情報

(現在サーバーエラー中? 「京急 運用情報」で検索するとトップに出てきます)


このサイトを見れば、その日に京急のレールの上をどんな電車がどんなダイヤで走っているか、いまどの辺りにいるのかが一目瞭然なのだ。どなたが作ってどんな風に運営されているのか判らないけどありがたい……、天の助け……。拝みながら覗いてみると、800形ちゃんは品川と浦賀を普通(各駅停車)で行ったり来たりする運用に就いていて、この時間は浦賀から品川に向けて上り線をガタゴト走っている最中らしい。いまちょうど上大岡で、京急では唯一一両あたり四つあるあの大きな片開きドアをプシーと閉じたところだ……、自慢の加速性能でぐんぐんスピードを上げて走っている姿が、自然と頭に思い浮かんだ。

どこかの駅で待ち伏せて撮ろう。出来れば下りのホームの端から、駅に入ってくる姿を撮れたら嬉しい(なんとなく、800形ちゃんの車体を足元まで含めてホームで隠したくないな、と思っていた)

快特京急川崎に出て、普通に乗り換える。タイミング的には横浜までのどこかの駅で800形ちゃんがやって来そうだ。撮影の名所、と呼ばれるような駅もあるのかも知れないけど、残念ながらそういう方面への知識は皆無、調べる時間もない。先頭車両に陣取って、撮影が出来そうな駅を探す、……ああ、ここはダメだ、ホームが狭くて危ない。ここもダメだ、ホームの端に屋根がなくてカメラが濡れちゃう……。

そんなこんなで決めかねているうちに、生麦駅でタイムリミットを迎えた。ここで降りないと800形ちゃんを撮れない……、と仕方なくホームに降りたのだけど、撮れたのはこんな写真だった。

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あーあ(生麦)


ピンボケだし、そもそもホームの端まで行けなかった。実力不足……、準備不足……。出鼻をくじかれるとはこのことだ。


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足元が隠れちゃうのは仕方ないと諦めて停まったところを撮った(生麦)


いや、まだチャンスはある。品川へ行った800形ちゃんは今度は浦賀行きの下り普通になってやって来る。こんどは慎重にロケハン、……と呼べるほど大したことではないけれど、「ホームに入ってくる800形ちゃんの勇姿が撮れそうな駅」を探して、生麦から横浜方面に少し下って神奈川新町で待ち構えることにする。まだ800形ちゃんが来るまでだいぶあるからほかの列車を撮って練習も出来るぞ。


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「ホームに滑り込んでくるシチュエーション」の理想(神奈川新町)


そうそう、こういうのが撮りたいの。顔と全身がピシャーと入って、「働いてる電車」って感じがするでしょう。

……ただ、雨がえぐい。風も強くて、傘なんて差したら持っていかれそうだしそもそも差したところであまり効果はない感じ。上り線のホームに立っているんだけど、京急名物の快特が通過するときの風圧も怖い。こんな素人の趣味で迷惑をかけるようなことはあってはならないわけで、色々と緊張することは多い。


ズボンの膝まで冷たくなったころ、ようやく800形ちゃんのおでこライトが遠くに見えて来た。こんどはちゃんと全身をピシャーと!


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雨を切り裂いて走る800形ちゃん(神奈川新町)


おお……、おお、これ、どうですかね! いい感じなんじゃないでしょうかね! はくしょん! 大魔王!


少しばかり満足して、昼食と所用を済ませに一旦京急から離れる。雨が小止みになった夕方近く、品川と浦賀を行ったり来たりしている800形ちゃんが品川から浦賀へ下る姿を撮りに、こんどは大森海岸駅へと移動。あっ、ここはなんだかいい感じに撮れそうだ。早速向こうから走ってきた電車で一枚。


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都営浅草線を通ってやって来た京成の電車(大森海岸)


真っ直ぐな線路を快走する電車の姿は、それが意中の相手でなくても「好き!」って思えてしまうものだったらしい。「あの子のこと全然興味なかったけど、なんとなく見た文化祭のバンドでボーカルやってるとき、何だか超素敵だった……」みたいな。


この調子で800形ちゃんも撮りたいところ!


だったんですが。


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なんだか陰気に写ってしまったし妙に左に偏った800形ちゃん(大森海岸)


ぼくの使ってるカメラは借り物で、借り物に文句をつけてはいけないのだけど、なんだかしぼりの調整が思うようにいかないんです。いいえごめんなさい、単に写真が下手なだけです。

……他の車両は綺麗に撮れたのに、800形ちゃんのときに限って何だか思うようにいかないという結果に。

「違うの! 普段のあたしならもっと出来るの! ……ただほんのちょっと緊張して、シャッター押す指が震えちゃっただけ……、『好き』って気持ちが強すぎて……」

今年で37歳になります。

しかし神奈川新町もそうだったけど、通過列車が結構な頻度でやってくる。轟音を響かせて走り行く電車はカッコいいのだけど、それ以上に怖くて、毎回ホームの壁際まで退避していた。思っていた以上に神経を使う趣味だぞこれは……。





◆5月29日


前日の雨予報は外れ薄曇りだけど蒸し暑い、晴れ間も時折覗いている。今日はお日様を浴びて走る800形ちゃんを撮れそうだ……。


しかし、運用情報を調べて愕然とする。今日に限って800形ちゃん、朝のお仕事を終えるなり金沢文庫の車庫に入ってしまってお昼寝、しばらく出て来ないという。歯噛みしながらも、思惑通りにいかないのは恋も同じ。

むしろ、振り回されると余計に燃えあがってしまうもの。

昼間を別の用事に当てて、800形ちゃんをもうすぐ「京急東神奈川駅」に改称される仲木戸駅で待ち構えることに。ここも下りホームから、大森海岸と同じく真っ直ぐな線路がホームの端から見渡せるロケーションだ。前回の大森海岸では左に偏ってしまったから今度は気をつけて、いざ!


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登り坂を駆け上がってくる凛々しい800形ちゃん(仲木戸


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品川に向けて行ってらっしゃい(仲木戸


うん! うん! と一人で頷きながら、上りホームに向かう。

平日の昼間、京急は普通が行った後に快特エアポート急行が追いかけて、追い抜いて行くというダイヤが組まれている。いま上りで走っていった800形ちゃんは京急鶴見まで逃げて、後続のエアポート急行に道を譲る(待避する)のだ。更にその先、平和島と鮫洲でも通過列車に道を譲る。

この「後続の列車に道を譲るために大急ぎで待避出来る駅まで逃げ込む」という仕事のために、800形ちゃんの備えた加速スペックがものすごい、という話は冒頭にリンクした記事にも書いた。

とにかくここで重要なのは「いま撮った800形ちゃんを品川寄りの駅でまた撮れる」という点だ。

そんなわけで、後続のエアポート急行に乗り込み、京急鶴見で追い抜き、京急蒲田で待ち構える。


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こうして800形ちゃんを見送るのが、ついこの間までぼくの日常だった(京急蒲田


今度は800形ちゃんに乗り込んで、平和島へ。


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ぼくが見送った800形ちゃんはいつもここでぼくこ乗った電車を穏やかな顔で見送ってくれた(平和島


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小粒なテールライトも愛くるしい(平和島


加速性能を遺憾なく発揮して走り去る姿を取ったら、今度は後続のエアポート急行に乗って鮫洲で800形ちゃんを追い抜いて、青物横丁へ。


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反対側のホームには千葉のほうからやって来た電車。京急のほかの車両たちが千葉方面へ乗り入れて行くのを尻目に、800形ちゃんは品川から先の景色を知らない(青物横丁)


京急蒲田から品川って快特だとあっという間に着いてしまうんだけど、その区間を乗っては降り、降りては撮って、また乗って……、と繰り返して、品川の一つ手前、北品川で降りる。ここは駅からほど近いところに、ぼくでも知ってる超有名な撮影スポットがある。

それが「八ツ山踏切」だ。品川を出て左下に見下ろしていたJRの線路を、ゆるりゆるりと鉄橋で跨いだ先にある、大きな踏切。急カーブなもので、ここを通る車両はみんな徐行する。ここの急カーブの存在ゆえに京急は並行するライバルJRと時間の上でどうしても不利になってしまうのだけど、ゆっくり走ってくれるなら写真下手でもいい感じの写真が撮れるはず。青物横丁から北品川まで乗り心地を楽しませてくれた800形ちゃんは、すぐに折り返して来た。


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こんなにイケメンに撮れてしまった(品川〜北品川間)


急に曇ってきたし、お尻の方がちょっと切れてしまったけれどこれは多分しょうがない。それらしさに溢れる一枚が撮れたぞ。

たぶんネットの海には同じアングルの写真がたくさんあるんでしょうな……。でもぼくの記憶に刻む一枚。「大好き!」という思いを込めてシャッターを切りました。

 



◆余談


ところで、ずっと800形ちゃんを「可愛い可愛い」言っているんだけど、「鉄道車両(無機物)を可愛い」と言う感覚はやはり少し共感されがたいものなのかもしれない。前回の800形ちゃん記事で少しは伝えられたとは思うのだけど、他の車両を例に挙げて、もう少し掘り下げていってみよう。

デザインの面で「可愛い」電車とは、どんな電車なのか。


京急には「1000形」という車両がいる。冒頭で「高松琴平電鉄の『旧1000形』」という書き方をしたが、あの1000形とは別な車両である。


この1000形には製造された時期によってデザインに違いがあるのだ。


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まず作られたのはこの顔の子。端正でありながらふくよかな顔立ち。元々はこの1000形に先駆けてデビューした車両(600形)がこういう顔で、それを洗練した顔で登場した2100形という車両と同じでマスクをしているのがこの1000形なのだ。

この1000形、しばらくはアルミニウムのボディにこの顔で作られていたんだけど、ある時からボディの素材がアルミニウムからステンレスに変わった。

その結果として、顔も変わった。


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先ほどと同じ「1000形」なのだけど、顔がマイナーチェンジされたのがおわかりいただけるだろうか。より柔和なデザインになった一方、サイドビューをご覧いただきたい、角度的に分かりづらいかもしれないがそこを強いてご覧いただきたい。アルミニウムの1000形は窓周りを白く、他は赤く塗っていたが、このステンレスの1000形は窓周りの塗装(というかフィルム)が省略されて銀色が剥き出しだ。

どうも、これが長く京急を愛して来た人々にはあまり評判が良くないらしい。

ただその一方で、……はい、もう一度お顔のほうにご注目くださいね。銀色剥き出しの1000形のほうが丸みを帯びて柔和な顔立ちになっているのかご確認いただけましたでしょうか。フロントガラスがやや中央によって、そのぶん縁取りの赤が目立つようになった点、それから白帯の部分が少し裾絞りになって全体として球体のイメージが湧くデザインになってますよね。


かくして二種類の顔がある車両となった1000形だったのだけど、少し前にまた違う顔の「弟」が現れた。2015年に製造されたグループが、下の写真の右の電車だ。


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左と右、どちらも1000形である。ただ右の、2015年に製造されたグループは非常扉が真ん中に備え付けられて、顔の印象がやや四角くなった。この写真では伝わりにくいのだけど、顔の膨らみがなくなって、初代ステンレスの顔にあった柔らかさは幾分低減してしまった。白帯の裾絞りはおんなじなんだけど……。

非常扉が真ん中に寄ったのは、4両一組のこの車両を二つ繋げて走らせる際に、互いに行き来できるようにするためだそうで、つまりは機能的なデザインということ。もちろん、その「機能」こそが電車に求められる部分であるということは判っているつもりだ。


この文章を書いている人が、三種類の「顔」のどれが一番「可愛い」と思っているかについては……。


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あえて書くまでもないですよね。どうですかこの、つるつる卵肌に映り込む景色のなめらかなゆがみっぷり。ぷにぷにしていると言っても過言ではない。やわらかそうさがすごい。

無機質な銀色剥き出しが不評だったステンレス版の1000形も、最近デビューした車両は全面に色がつけられてこの通り温かみのある印象に!

細かなことを言えばこの「全面色付き1000形」にも「窓の枠が銀色のままのタイプと、そこも白にされてるタイプ」とありまして、ぼくは窓枠も塗られていたほうがより柔らかく甘い印象で好きだなあなんてことを思ってるんですが、それについてはまあいいです。


要はデザインにおいては、「鉄道車両という金属の塊でありながら、どことなく感じる柔らかさ」というのが、鉄道車両に対して臆面もなく「可愛い!」と言ってしまう理由なのであります。


本題に戻りましょう。




◆6月7日


800形ちゃんの引退まであと十日を切った。

沿線各駅ではそろそろ、最後の姿を撮影しようとするファンの姿が目立ち始めている。……みんなすげえカメラ持ってるな。

ぼくも午後に日ノ出町までやってきて、最後にもう一回いい写真を撮りたいと思っていたのだけど、……今日も雨模様だ。幸い前々回のような風はないけれど、雨足は相当なもの。それでも、今日を逃すともうチャンスはない。


京急三崎口方面と浦賀方面と線路が分かれる堀ノ内駅までやって来た。いつも「下りホームから上り線」「上りホームから下り線」と撮っていたから、最後は「上りホームから上り線」を撮ってみよう。堀ノ内の下りホームから浦賀方面を見渡すと、いい感じに線路が左にカーブしている。これは上手くすれば相当イケメンに撮ることが出来るのでは……?


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雨粒と800形ちゃん(堀ノ内)


ちょっと雨に負けてる気がする。これ晴れてる日だったら相当カッコよかったんじゃないか、どうだろうか。

関東地方もまもなく梅雨入りだ。800形ちゃんにとってはこれが最後の梅雨であり、彼はこの梅雨が明けるのを待たずにこの線路の上を去ることになる……、そう考えれば、うん、これも大事な記録。

やや無理やりに自分を納得させたつもりで、それでも諦めきれずにまた800形ちゃんを追いかけて仲木戸へ。先日は薄曇りだったから、今度は思いっきり雨の中で撮ろう、という逆転の発想である。

だってどんな天気であったとして、今日が800形を撮れる最後のチャンスだ。


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おでこライトが凛々しくけなげ(仲木戸


更に後続の急行で追い掛けて、京急鶴見で乗り込んだ。考えてみると、ずっと撮ったばかりであんまりり乗れてなかったな……。

800形ちゃんの可愛さの一つである青い椅子に収まって、しんみりと乗り心地を楽しむことにする。


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扇風機、片開きドア、加速するときの「ヒゥゥーン」って音……、誰にとっても日常の中にあるこの時間も、いまのぼくにはかけがえのない一瞬の連続だ。


京急川崎でも、京急蒲田でも、たくさんのファンが800形ちゃんにカメラを向ける姿が見られた。

鉄道車両に興味のない人たちからすれば、

「こんな当たり前の電車撮ってどうするの?」

と不思議な気持ちがするかも知れない。いや、それは800形ちゃんと出会うまでのぼくもそうだったのだ。

それがいつしか、乗っている電車が800形ちゃんを追い抜いて行くとき、視線が彼を追っている。

何でもない日におでこライトを光らせて彼がホームに滑り込んできてくれると、その日がいい日になったような気になれた。

日常のどこかに、今日も彼が走っているという事実。それがどれほど大きかっただろう。

ぼくにとって、たくさんのファンにとって、「800形」の今をなんらかの形で残したいという願いは、とても切なくて、それを形容する言葉をぼくは「恋」しか知らない。

相手が無機物であろうとも、これは恋だったのだ。そう結論が出たところで、何にもなりはしないのだけど、せめてもの救いは彼に恋をした人がたくさんいたのだと、彼はたくさんの恋に包まれて引退するのだということだ。



◆6月9日


起きたのは6時半過ぎ。なんだかぼんやりと、京急の運用情報を見て、800形ちゃんが走っていることを知る。撮りに行くことはないと思っていたはずなのに、起き抜けとは思えないスピードで思考が回り始めた。大急ぎでシャワーを浴び、髪を乾かして駅に向かって、平和島のホームに降り立った。


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今日は雨が降っていなかった(平和島


かっこよく撮れたな、と思う。



◆おわりに


長々と800形ちゃんの撮影記録を書いてしまった。どうやらぼくは、「こんなに可愛い電車がいたんだ!」ということを誰かに伝えたかったんだな……、と思う。

この記事が、鉄道にあまり興味のない人には、

「ああそういえば、こんな電車に乗ったことあったっけなあ」

と思い出すきっかけになったらいいなと思うし、800形ちゃんが好きな人には、

「800形よかったよな!」

って思って頂けたらいいなとも思う。

800形ちゃんは6月16日に「さよなら運転」が行われる。どうか800形が最後まで無事に仕事をやり切れるよう、一ファンとして願ってやまない。


いつかまた、800形ちゃんみたいに夢中になれる電車に出会えたらいいなと思いながら、筆とカメラを置きます。


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ありがとうな!(北品川)



*周りの人のご迷惑にならないよう、また列車の安全な運行の妨げにならないよう、マナーを守って撮影を楽しみましょう。

関西大手私鉄のいいところを見て回った件(えんせんみんボーイズおまけ)

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 全国には十五社の大手私鉄があり、そのうち八社は関東に、残りは中部・近畿・九州に存在する。関東在住で浅め鉄道ファンであるぼくのような人間は、西へ足を運ぶたび少しずつ乗っては来たけれど、まだまだ十分に各社を味わい切れているとは言いがたい。

 今回、関東の大手私鉄を推す少年たちのほのぼの不条理四コマ漫画「えんせんみんボーイズ」の作者である柏餅なぎたくんと思う存分京阪神大手私鉄を楽しむ機会があった。各社を辿って見えてきた「すごい!」を、紹介して行こうと思う。

 

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【阪急梅田駅がすごい!】

 

 阪急と言えば「マルーン」の電車、「マルーン」と言えば阪急。新型も古参も同じ艶のあるマルーンで塗られた車両たちが何より印象的な「阪急電車」であるが、何が一番すごいって、やっぱりターミナルである梅田駅がすごい。

 

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この色を鉄道車両の塗色に使うって発想がそもそもすごい。

 

 まず、言葉でそのすごさを説明してみよう。

 阪急の梅田駅は、阪急神戸線阪急宝塚線阪急京都線という三方向へ伸びる幹線すべての始発駅だ。一路線あたり三本の線路を備え、ホームからはひっきりなしにマルーンの電車が発着する。ホームは「頭端式ホーム」と呼ばれる、並行するホーム同士が一端で繋がり行き来できる構造であり、ホームは全部で1番線から9番線(阪急では「1号線」から「9号線」という呼称を用いている)まである。

 この1号線から9号線の線路は、同一平面上に存在している。

 ……やっぱり言葉では伝わりにくい気がする。

 

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つまり、こういうことだ。

 

 地平線が見える……、とまでは言わないが、1号線から9号線まで全て同一平面上に存在し、かつ一端では繋がっている。

 

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 頭端式ホームとしては日本で最大の規模を誇るのがこの阪急梅田駅。「威容」という言葉がしっくりくる。つやつやにに磨かれたホーム床は清潔感があるし、目まぐるしく発着するマルーンの電車群はいつまでも見飽きない。これはまさしく関西私鉄の雄・阪急電車の城、いや「宮殿」と言ったほうがいいだろうか? とにかく必見の構造物である。

 

 

【南海汐見橋線がすごい】

 

 阪神電車は本線の尼崎から大阪ミナミの繁華街・なんば方面へ抜け、近鉄との相互乗り入れを行っているが、この尼崎~なんば間を結ぶのが阪神なんば線である。なんばの一つ手前にある桜川駅は真新しい地下駅であるが、その地上出口の目の前にあるのが「南海電車汐見橋駅」である。何故か全く違う駅名の両駅であるが、桜川駅の構内にも汐見橋駅への乗り換え案内は出ている。

 

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こんな新しい駅の、

 

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案内にしたがって地上に出ると、

 

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あるのがこの駅である。

 

 同行の柏餅くんが言葉を喪った。桜川駅から地上へのエスカレーターはタイムマシーンか何かだったのではないか。南海はまぎれもなく関西の大手私鉄の一角であるが、目の前にあるのは昭和のローカル線の終着駅である。関東で言えばどこが近いだろう……? 工業地帯の真っ只中にあるJR鶴見線の駅が似た雰囲気だけど、すぐ側に乗換駅があり、人の往来もそこそこある、という点ではやはりこの汐見橋駅の方が不思議さの度合いが高いように思う。

 

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改札口もこの雰囲気。見慣れたはずの自動改札機が異質にすら思えてくる。

 

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券売機は一台のみ、電車は一時間に二本。大都市のローカル線だ。

 

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 駅舎からスロープで繋がるホームにはわれわれ同様、この汐見橋線そのものに興味を持ってやってきたと思しき乗客が数グループ。二両きりの電車は高速道路(阪神高速15号線)沿いをゆっくりと走り、工場の名残かと思われるがだだっぴろく何もない駅前の木津川、下町の住宅地のど真ん中に位置する西天下茶屋などを抜け、十分足らずで本線(高野線)との接続駅である岸里玉出に到着する。岸里玉出駅汐見橋駅とは対照的な高架のホームで、関西空港への特急なども行き交う。その本線ホームからは少し離れたところでぽつんと泊まる二両の汐見橋線は、やっぱり何とも言えない趣深さ、流行りの言葉を使うならば「エモい」という言葉がしっくりくる。

 

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エモい(岸里玉出

 

 

【京阪の8000系がすごい】

 

 大手私鉄各社の「特急」はそれぞれに個性があり、事業者ごとの個性や考え方が浮き彫りになっていると思う。

 例えば箱根という一大観光地を持つ小田急の特急は「ロマンスカー」で乗車券のほかに全席指定の特急券が必要、展望席も備えたハイグレードなものだし、成田空港と都心のアクセスを担う京成の特急「スカイライナー」も全席指定。これらは「特別急行」の名に恥じない専用車両を用いて運用される一群である。関西の大手私鉄では名鉄近鉄・南海の三社が有料特急を走らせている。

 

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小田急自慢のロマンスカー「GSE」(本厚木)

 

 一方、通勤需要の方が圧倒的に高い京王や東急のような事業者においては、「特急」と言っても単に停車駅が少なく速達性の高い種別、ということになる。これらの「特急」はいずれも乗車券だけで乗れるし、車両も各駅停車と同じ形である。関西では阪神と阪急がそう。

 

 

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一般型車両で運転される阪急の特急(西宮北口

 

 両社の折衷に当たるのが、基本的には専用の車両を使って運用されるが特別料金が不要な「特急」を走らせている事業者。例えば関東では京急が、最優等列車である「快特」にはラッシュ時間帯を除き2100形という各車両二つドア・全席クロスシート(二人掛け席)の車両を充当しているし、阪急も元々京都線(京都~梅田)の特急には6300系という全席クロスシートの車両を用いていた。

 この項でご紹介するのは京阪の、「乗車券だけで乗れる・二つドアの・全席クロスシートの車両」である。

 

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京阪の特急専用車両8000系(丹波橋

 

 京阪が1989年にデビューさせた特急専用車両がこの8000系。元々3000系という、同様のスペックの特急専用車がいたのだが、それを進化させ、更に近年リニューアルを経て塗装も一新、愛称「エレガントサルーン」の名に恥じぬ看板車両である。登場時から中間に二階建て車両を挟み込んでいたことも特筆すべき点と言えるだろう。またリニューアルに際して「プレミアムカー」と呼ばれる有料指定席車両も組み込み、ラッシュ時にも着席確保が出来るようになった。

 先頭車は運転席のすぐ後ろにも座席が設けられ、見事な全面眺望を楽しむことも出来る。

 

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運よくありつけた最前部の席

 

 関西の大手私鉄は各社個性的な車両が多いが、その中でも京阪8000系のホスピタリティ、特急という種別に関してのブランディングは出色のものがあるように思う。

 

 

近鉄の特急の喫煙ブースがすごい】

 

 禁煙ブームが叫ばれて久しい。久しい、というか、もう喫煙者としては立つ瀬がない。関東はJRも大手私鉄も駅構内は全面禁煙化されてずいぶん経つし、鉄道の車内での喫煙など滅多なことでは出来ない。もっともそれは時代の流れを考えれば無理からぬことであるし、喫煙者としても甘んじて受け入れて行かなければいけないところであろう。現在全国の鉄道で「走行中にタバコが吸える車両、もしくは喫煙ブースを設けている車両」がどれぐらいあるか調べてみたところ、新幹線の一部車両や寝台特急が喫煙可能である以外、原則として喫煙可能な車両というのはもう存在しないようだ。可能、と言っても喫煙ブースである場合がほとんどで、ごく限られたスペースに喫煙者は肩をすぼめて紫煙をくゆらせるのである。

 筆者が大学生だった頃(二〇〇〇年代初頭)にはまだ、JRの在来線に喫煙者を繋いだ特急や快速が走っていた記憶もあるが、……繰り返しになるが、これも時代の流れ、仕方のないことだ。

 

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東海道新幹線の喫煙ブース

 

 そんな中、私鉄としては日本で最も長い路線を誇る近鉄には現在も「喫煙可能な車両」を設けている。これは私鉄としては唯一のものだ。伊勢志摩への観光特急「しまかぜ」や、名古屋と京阪神を結ぶ「アーバンライナー」用の車両は全車座席禁煙ながら喫煙ブースを設け、「一般特急」と呼ばれる特に名前のない特急(近鉄は路線が広範囲に渡るため、多くの有料特急が走っていることも魅力の一つである)は一部車両客室を喫煙車として開放し、座席での喫煙を許可しているのである。

 今回関西私鉄めぐりを行ったわたしは喫煙者、柏餅は非喫煙者であるが、「おまえが吸うぶんには別に構わない」というスタンスの人。ホテルは喫煙可能な部屋を予約してくれたし、近鉄特急のチケットを買う際にも、

「せっかく喫煙車付いてるんだったらそっちにしようか」

 と気遣ってくれたが、煙たいなか短からぬ時間座らわせるのも申し訳なく、喫煙ブースがすぐ側にある車両の座席にしてもらった。

 この「喫煙ブース」がすごかった。

 

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ワンルームマンション?

 

 こんなに居住性の高い喫煙ブースでいいのかおい、とたじろいでしまうほどの広さ。窓のサイズも客席のそれと変わらず、ご覧のように大変広い。われわれがこの特急に乗ったのは奈良県の大和八木から三重県近鉄四日市までの区間だが、車窓は山間部から平野、広い河川を渡る鉄橋と目まぐるしく変わって行く。もちろん客席(有料特急券が安く感じられるほど広々とした、フットレスト付きのリクライニングシートである)で寛ぎながら眺めるのが一番いいに決まっているが、喫煙室からも十分楽しむことが出来るのだ。「喫煙ブース」というと薄暗く狭苦しいところと相場が決まっているが、近鉄特急の「すべてのお客さまにゆとりを」という姿勢は評価していいと思う。

 

 余談だが、われわれが近鉄特急の乗り心地を楽しんでいたのは、ちょうどこの後四国から関西地方を直撃する台風二〇号が接近しようとしていた時間帯。強い雨が降ったかと思えば晴れ渡り、そうかと思えば晴れ渡った空から大粒の雨から降りしきるという不安定この上ない空模様であった。特急は大いに遅れていたが、車窓からは二度にわたり見事な虹のを楽しむことが出来、そういう意味でもよい旅路だったことを書き添えておきたい。

 

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こんなに近くで虹を見るのは初めてだった。

 

 

阪神は尼崎駅でのバリアフリーの手段がすごい】

 

 梅田から神戸三宮・元町を結ぶ阪神電車優等列車がオレンジ色、普通列車が青色と、運用ごとにぱっきりと車両の塗装を分けているのが車両面での特徴的だ。路線の総延長が短く本線以外には武庫川線と言う小さな支線があるだけ、規模で言えば小さい阪神電車であるが、その分「車両の塗装で種別を(おおまかに)判るようにしとこう」という発想は見事と言うべきだろう。

 

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オレンジ色の「急行」梅田行き

 

 ところで阪神と言えばもちろんプロ野球阪神タイガース。永遠のライバルである読売ジャイアンツのチームカラーがオレンジなもので、梅田から甲子園へ応援に行く阪神ファンから「何で巨人色に塗ってしまったのか……」という呟きが漏れるのは年中行事。最新車両の1000系など、非常に格好いいのだが、どことなくジャイアンツのマスコットキャラクター「ジャビット」を想起させる前面デザインであるように思う。

 

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塗り分け方が読売の「Y」っぽい。

 

 さてそんな阪神に見付けた「すごさ」は尼崎駅にある。梅田を出て最初の優等列車停車駅であるこの尼崎は本線の神戸三宮方面からの電車が大阪ミナミのなんばへ直通し、やがて近鉄大阪線に乗り入れ最終的には奈良へと至る阪神なんば線との分岐駅なのだ。神戸方面からやってきて本線を直進し梅田へ向かう特急と、なんば線から近鉄へ乗り入れる快速急行がこの駅で二手に分かれる。

 もちろん梅田に行きたい人は梅田行きに、なんば方面へ行きたい人は奈良行きに乗ればいいのだが、常に都合よく目的の行先の電車に乗れるわけではないことは想像して頂けるだろう。一部の乗客はこの尼崎で目的の電車に乗り換える必要に駆られる訳だ。ところが本線梅田方面の優等列車が停まるホームと、なんば線のホームには間に一本線路が挟まっている。これはこの駅が緩急接続(普通列車優等列車の待ち合わせ)を行う駅であり、この線路には梅田行きの普通が停車して特急を先行させるのだ。

  この、なんば線ホームと本線の優等列車用ホームに挟まれて停車する普通列車が、ちょっとすごいのである。

 例えばあなたが「なんば線方面に行きたいのに、やって来たのは梅田行きの特急。とりあえず尼崎まで特急でやって来た」というシチュエーションだったとしよう。尼崎に到着したらどうするか、……改札前に繋がる階段ないしはエスカレーター・エレベーターなどを使って反対側のホームまで移らなければならない。元気な若い方ならば何ら問題はなかろうが、足の不自由な方や妊娠中の方、小さなお子さんを連れている方……、そしてこのときのわれわれは旅行中で柏餅はカートを、わたしはやたら大きなリュックサックを背負っていて、身軽とは言い難い状況であった。そんな中、「改札前に繋がる階段ないしエスカ以下略」を使って上り下りするというのはなかなか大変であることは想像に難くないだろう。

 バリアフリーとは「バリア」からの解放、すなわち「バリア(障害物)」をなくしてしまうことである。この点、尼崎駅の2番線(5番線)に停車する普通電車は、正しく乗客をバリアから解放(フリーに)する役割を担う。

 この線路上に停車する各駅停車は、左右両方のドアを開けっ放しにするのである。

 即ち、なんば線から本線、あるいはその逆へ乗り換えをする際に生じる段差から乗客を解放してしまうのだ。

 もちろん、左右にホームを配置した駅は珍しくないし、そういった駅で左右のホームに向けて同時にドアを解放する例も少なくない。しかしそれらの多くが「降車客を降車用ホームへ/乗車客は乗車用ホームから」という振り分けのために行われているのに対し、この尼崎駅においては初めから「停車している車両を通路にする」ことが前提に運用されているのだ。

 

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「通路」として停車する「普通梅田行き」の青い電車。

 

 よく考えられたバリアフリーであると、柏餅もわたしも感心しきりであった。

 

 

===

 

 関西圏、京阪神大手私鉄を乗り回って、関東の私鉄には見られない工夫や特色、そして光景を事業者ごとに見て来た訳だが、こうして振り返って見るに、ますます興味が尽きない思いがする。阪急はまだ神戸線に乗ったのみで阪急の大テーマパーク宝塚には足を踏み入れたことがないし、京阪は特急ばかりに目が行ってしまったが日本で最初の多扉車5000系や滋賀県内の石山坂本線は自動車と並んで走る「併用軌道」を持っていてこれまた見に行かない訳には行くまい。南海も今回は汐見橋線という短い支線に焦点を当ててしまったが関西国際空港へのアクセスを無視する訳には行かないし、広大な路線を誇る近鉄をたった一度の乗車で判ったような気になっては失礼である。そしてその近鉄と直通運転を行う阪神も、今回は魅力的な支線である武庫川線に筆を至らしめることが出来なかった。

 そして関西の大手私鉄はこの五社にとどまらない。名古屋を走る名鉄、急襲唯一の大手私鉄である西鉄にも、いずれ触れなければならないときが来るだろう。

 関西大手私鉄の魅力を、今回どの程度お伝えできたかは覚束ない。しかし特に関東の読者諸氏におかれましては、関西に行かれた際には是非関西私鉄を乗り回って、それぞれに魅力を見付けて頂きたいと思うのであります。

 

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阪堺電車もとてもよかった。

行き止まりに行きたくって仕方がなかった。

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おれは今年で36歳になる。BL小説家を目指しているんだけど、未だにプロになれていない。誰に読まれることもない小説を書き続けていて、不安に苛まれることも増えて来た。


「このまま何にも出来ないまま終わっちゃうんじゃないか」

「そもそもおれは道を間違えていたんじゃないか」


自分の歩む人生の道の先が行き止まりだったら……? そんな悲しい話ってないだろう。


でも「行き止まり」ってどんなところなんだろう? 考えてみるとこれまで、「行き止まり」に行ったことってないな……。


人生の「行き止まり」で途方に暮れるおれは、本当の「行き止まり」で何を思うんだろう?


そう思ったので、「行き止まり」を目指して出掛けてきたんですが。


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◆気軽に行けそうな「行き止まり」を見付けた


八王子に住んでいる。中央線の八王子だ。二駅先が高尾で、そこから中央線は急にローカルな雰囲気になる。


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やってくる電車も都心でおなじみオレンジの帯の車両ではない


甲府小淵沢、松本といった行き先の電車に乗り換えて一駅、長いトンネルで小仏峠を越えた先、最初の駅は神奈川県の相模湖。相模ダムがあって、数年前には「ダムマニア展」も開催された場所だ。

八王子民はよく「八王子って山梨でしょー」なんて揶揄されるのだけど、八王子から山梨に行こうとすると神奈川を通るんだってことを覚えておいてもらいたい。


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山が近い。手前が中央線、奥の高架は中央自動車道


調べたところ、相模湖の駅から歩いて行ける距離に「行き止まり」があるみたいだ。しかも途中には滝もある。他にも駅から行ける範囲に「行き止まり」は何箇所かあるみたいだったけど、滝の存在が決め手になってここを目指すことにしたのだ。


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縮尺の都合上2枚に跨って地図


距離的にも、駅から2キロ足らず。どんな道なのか、辿った先にどんな景色が待っているのか、全く想像がつかない。ただ判るのは「山の中だろうな」という点のみ。

人生に行き詰まりつつある自分が「行き止まり」に辿り着いたとき、どんなことを思うんだろう? 徒労感を味わうだけなのか、それとも何か前向きになれるような景色が広がっているのか。


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行き止まりへのアプローチ


いよいよこの先が「行き止まり」だ。正直、ドキドキしている。そのドキドキの半分は期待感だけど、もう半分は「怖い目に遭わないだろうか」というものだ。具体的には、蛇とか蜂とか出たら嫌だな、あとは「ちょっと天気悪くなってきちゃったな」とか「まさか遭難するようなことにはならないよな」とか。

いやいや、天下のGoogleMAPに載ってる道なんだから幾ら何でも遭難はしないでしょ……、でも万が一ということもある。

しかしここで引き返したらおれは「人生の行き止まりにすら行けないで頓挫した男」になってしまう。

すくみそうになる足を叱咤して、踏み出した。行くのだ、おれは行くのだ!

どんなに雄々しい足取りだったとしても、行く先は「行き止まり」なのだけど。


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すぐにこんな砂利の急坂だ


運動用の靴というものを持っていないもので、ちょっと足元が不安定な場所になると途端に膝やら腰やらに負担がかかる。いや、これは靴云々以前の問題として中年だからだ。運動不足を解消しようと時々何キロか歩くのだけど、そういう日の夕方はがっくり疲れて寝てしまう、……BL小説の原稿やらなきゃいけないのに、体力が追い付かない。

「行き止まり」に行くためには体力が必要なのだ。

山の緑の風が吹き抜けるが、蒸し暑く、汗が噴き出してくる。それでも一歩一歩踏みしめて、三分ぐらい進んだだろうか。


信じられない光景を前に、立ち尽くした。


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「立ち入り禁止」


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「クマ出没注意」




◆「行き止まり」にさえ行けなかった男、さまよう


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別の道を辿って引き返したら、とてもハードコアな階段があった。高所恐怖症なので辛い


雨が降り始めた。

「人生の『行き止まり』で途方に暮れるおれは、本当の『行き止まり』で何を思うんだろう」と思って出掛けて来たが、そもそも「行き止まり」にさえ辿り着けなかった。

しかもクマが出る。クマは怖い。


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普段あんまり甘いものは食べないのに衝動買いした

 

雨はどんどん強くなり、やがて雹が地面を叩き始めた。傘を持って来てよかったな……、呆然としながら食べるエクレアはぜんぜん甘くなかった。


このまま帰ってしまおうか、という気持ちが湧いて来た。しかしせっかく交通費をかけて出掛けて来たのに何の収穫もなく帰るのも悔しい。雨宿りをしながら考えた挙句、小止みになった雨の中、意を決してもう一つの目的地に向けて歩き出すことにした。


◆高速道路を渡った先に神社がある


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鳥居の先の石段、妙なところで切れてると思いませんか


相模湖駅のほど近くに、與瀬(よぜ)神社、という神社がある。

先ほどおれが目指した「行き止まり」に向かう途中、駅から5分ほど歩いたところにある神社である。拝殿は相模湖駅の北に聳える山の中。

ここでさっき、「山が近い」ってキャプションを付けた写真を再掲しますね。

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中央道の向こうはすぐ山で、背後には相模湖を見下ろせるというロケーション


相模湖駅周辺は北から「山>{中央道>中央線>甲州街道国道20号線)}>相模湖」といった具合の位置関係になっている。{}でくくった範囲は狭くて、甲州街道が中央道の北に出るところもあるんだけど、だいたいこんな感じ。で、與瀬神社の参道は甲州街道にあり、繰り返しになるけど拝殿は山の中にあるのだ。


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甲州街道にあるバス停の名前は「与瀬」神社前


つまり、山の中にある拝殿に行くためには、何らかの形で高速道路を越えなければならない、ということになる。

その結果、この神社はとても特徴ある石段を備えるに至った。


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神社の石段……、と呼ぶには妙にインダストリアル


急な階段を登ったところに見えるのは、山にへばりつくように敷かれた中央道。


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紛う方なき自動車道


つまりこの神社の石段は高速道路を跨ぐ歩道橋の役割を併せ持っているのだ。


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ガチで高速道路

 

山と湖に挟まれたこのエリアにある神社ならではのアプローチだ。


おれは免許を持っていないんだけど、たまに人の車に乗せてもらって高速道路を走ると時たま現れる「歩道橋のような何か」が昔から気になっていた。高速が出来て自由に行き来出来なくなった住民のための歩道橋なんだろうな、と察してはいたけれど、その中の一つがまさか神社へのアクセスだとは思わなかった。

たぶんこの橋の下を潜り抜ける車の運転手たちも気付いていないんじゃないか。


せっかくなので、このまま神社にお参りをして行こう。


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次来るときまでにちゃんと歩くのに適した靴を買おうと決意した瞬間


踏みしろが小さい上に急な石段(こんどはちゃんとした石段)を登った先、雲間から差し込む陽射しに照らされた與瀬神社の拝殿が姿を現神社のた。


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神々しい


写真では判らないけれど、雨に濡れた屋根から、初夏の陽射しを受けて湯気がたなびいている。昔読んだ本に「水蒸気は日本の風景美を形作る要素」みたいなことが書いてあったことが思い出された。

しかし、こんなに静かな景色なのに、高速道路を走る車の音が途絶えることなく聴こえてくるのが何だかおかしい。これももちろん、写真では伝わらないんだけど。


「行き止まり」に辿り着けず、雨に降られてすっかり萎んでいたが、境内でぼんやりと過ごしているうちに何だか元気になって来たのを覚える。

要は、まだまだおれは「行き止まり」を意識するには早過ぎるってことなんじゃないだろうか。たださまよってるだけで。でもさまよい歩いて面白いものが見られるなら、それもそれでありかもしれないな……、なんて気持ちが湧いて来る。


いい話で締めくくろうと思ったが、


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雨に濡れたこの石段を下る勇気はいつまで経っても湧いてこなかった。


===


急な石段は、高所恐怖症のおれには辛い。そもそもこの靴では怖い。しかし神様(與瀬神社は日本武尊が御祭神)は優しい。緩い坂もちゃんと設けてくれている。男坂と女坂って呼んでいいのかな。


女坂を下る途中、雰囲気のいい林道が見えたのでそちらに寄り道して帰った。


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この神秘的な雰囲気(そして右下から這い上がって来る高速の音よ)


この日も帰ってから、やっぱり昼寝に落ちてしまったのだけど、不思議なことにきっかり30分で目が覚めて、BL小説の原稿を進めることが出来た。いつもより随分と捗った。

「脇目も振らずに頑張る」のもいいけど、そうやって行き過ぎた果てにあるのが「行き止まり」なのかもしれない。だとしたら時には気分転換も大切なのかもしれない……、なんてことを、ちょっと考えた。


でもやっぱり行って見たいよなあ……、「行き止まり」に……。


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凝りもせずまた「行き止まり」を探している

風邪が治らない(2017年のこと)

数ヶ月ぶりのblog更新である。せっかくだから去年を振り返ってから書くことにしよう。

去年は個人的にいくつかの大ニュースがあって、一年があっという間に過ぎ去ってしまった。めくるめく、めまぐるしい、そんな年だった。



水中、それは苦しい と 左右 のライブを観に行った】


もともと人の多いところが得意でなくて、音楽にもすっかり疎くなっている。そんな中にあって一昨年知った「水中、それは苦しい」と「左右」のライブに行くというのは、自分にとって間違いなく大きなことだった。

人生初ライブは三月、水中、それは苦しいの、レコ発ツアー。東京でのライブが行われる日、たまたま休日で、Twitterを見たところ当日券があるというので一念発起してリプライで予約。右も左もわからん状態で緊張しきりだったのだけど、気付けば初めて聴くロックバンドの生音に酔いしれていた。

人見知りの自分を知る人には「うそ!?」って驚かれることではあるのだが、終演後にはバンドメンバーのところへ挨拶に行き、一緒に写真を撮って貰った。

以降、水中、それは苦しいのバンドとしての公演、ギターボーカルであるジョニー大蔵大臣のソロライブにも足繁く通うようになった。のみならず、ジョニーさんの痺れるような格好良さに憧れて、三十路も半ばにしてギターを買ってきて、練習するようになっている。

左右のライブを観に行ったのは五月、こちらも左右のアルバム発売記念ライブ。元々デイリーポータルZの動画コンテンツ「プープーテレビ」にご出演だった花池さんが大好きで、このライブからひと月前、ジョニー大蔵大臣+花池さん+ギチというメンバーによる大喜利イベントでジョニーさんとの再開と、花池さんとの初対面を果たしていたのだが、音楽となるととことんまでにクールな「左右」に圧倒された。

左右の花池さんと桑原さんはともにデイリーポータルZのライター大北栄人氏の主催するコント集団「明日のアー」が昨秋上演した「日本の表面」に客演されていて、演技でも強い存在感をいかんなく発揮されていた。もちろん、これも観に行っている。

左右も、水中、それは苦しいも、もっともっと注目されてしかるべきバンドであると思う。

もちろんそんなことは、こんな辺鄙なblogでおれが言うまでもないことなんだろうけど。


【斎藤充博氏と一緒に同人誌を作った】

昨年11月に行われた「第2回WEBメディアびっくりセール」合わせで斎藤さんが頒布した新刊「BLってよくわかんないから自分を素材に作ってみた」に、BL小説家として参加させていただいた。経緯はこのblogで既に書いた通り。

自分はいまだ小説家にはなれていない人間ではあるけれど、それでも意識だけは高く執筆に励み、これまで(個人で同人誌を作っていた頃)とは比べ物にならないほど多くの方に小説を読んで頂けたことはかけがえのない経験だ。

この同人誌、まだ在庫があるみたいなので、欲しい方はぜひ斎藤さんに訊いてみてください。


【このblogがデイリーポータルZに!】

斎藤さんや、同人誌製作で知り合った井口エリさんのすすめでこのblogを書くようになったんだけど、もののためしというか、「小説以外の自分の文章ってどうなんだろう?」という軽い気持ちでデイリーポータルZの投稿コーナーに送ってみたところ、京急800形の記事が掲載されることとなった。

これには本当に嬉しく思ったし、また驚きもした。小説ではないにせよ、自分の書いた「文章」が何らかの形で評価され、多くの人の目に触れたという経験は、これまでどれほど望んでも叶わなかった願いだったから。

一方で、「ライター」という仕事の大変さ、キツさ、しんどさ、凄さ……、の片鱗も垣間見たような気持ちである。これを毎回毎回やったんだ斎藤さんたちは……、すげえ……、おれにはちょっと真似できんぞ、と(そんな次第でここんとこしばらくblogを書かなくなってしまっていた)



いろんなことがあった2017年が過ぎ、2018年を迎え、もう二月も半ばを迎えている。

去年は色々と新しい出来事があって気が張っていたのか、一度も風邪をひかずに済んだんだけど、ぼんやり過ごしていた先週、ガタガタっと体調を崩していまも風邪が治らない。年末、またひとつ歳をとって、すっかり中年、抵抗力もだだ下がりなのだ。

このblogもベッドの上で唸りながら書いている。

みなさまにおかれましては、どうぞご自愛ください。


玉子焼きをデザートにしちゃえばいいんじゃない?

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「お寿司屋さんの玉子焼きはデザートの甘味」みたいな説がある。でもデザートをご飯に乗せて食べるって、何だか妙な気もする。食事とデザートがシームレス過ぎるっていうか。


どうせなら、もっとちゃんと「デザート」にしちゃえばいいんじゃない?


そう思ってやってみたら、BL小説家を目指す自分を見つめ直すことになりました。


===


◆料理は苦手じゃない


普段から家で料理をしている。そんなに手の込んだものを作るわけじゃないけど、まあ、一般的な飯のおかずを作ることにはそれほど苦労しない。


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しっかりめに味をつけたナポリタン


「玉子焼きをデザートにしよう」と思い付くと同時に頭に浮かんだのは、「プリン」だった。プリンなんて作ったことないけど、要は玉子を甘くして固めたものだろう。それなら玉子焼きの卵液にちょっと手を加えたら簡単に出来そうだ。


早速、簡単なプリンのレシピを読んでみる。

材料は大体こんな感じだ。


卵 2個

砂糖 50g

牛乳 250cc


うむ。冷蔵庫の中のものだけで作れそうだな。

早速準備に取り掛かろう。

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玉子を2個に


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砂糖を50g(うちは黒っぽいお砂糖を使っています)


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牛乳を……


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にひゃくごじゅ……


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……


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みかん味のフルーチェ


えらいことになってしまった。「料理は苦手じゃない」なんてどの口が言うのか。いやしかし、曲がりなりにも玉子だ、火を通せばちゃんと固まってくれるはずだ。

そう自分に言い聞かせながら、火を入れる。


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玉子焼きじゃなくてプリンだからバターを溶かして


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卵液を入れて……


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離乳食?


わかってたさ……、固まるわけがないじゃないか、明らかに牛乳の量が多すぎだもの!

しかしプリンのレシピの通りに作ったんだ、これは形こそ違えどプリンである、誰が何と言おうとプリン以外のなにものでもない。

試食してみる。




……考えてみるとおれ甘いもの好きじゃなかったな。友達が甘い飲み物すごく好きで、一口もらうことがあるんだけど、いつも甘すぎて震えている。たぶん甘いものへの耐性が人より弱いんだろう。甘すぎるものを食べると震える。甘すぎて苦味さえ感じる。めまいを覚えて畳の上に倒れ伏した。


完全に失敗だ。



◆トライアゲイン


とはいえ「失敗だ」で終わらせるわけにはいかない。

何でって、さっきの試作品を作るのに使った卵液は全体のごく一部。まだトータル300ccは残っている。


どうにか起き上がって(ほんの少量食べただけで胃もたれがすごい)冷静に考えてみる。課題は主にこの二つだろう。


1.牛乳の量が多すぎた

2.砂糖も、あったかい玉子焼きを作ることを考えると多い


ひょっとしたら「3.アイディアに問題がある」という看過しがたい点が失敗の原因なのかもしれないけれど、ぼくが普段から書いている小説もそうだ(ぼくはBL小説家を目指しています)

多少アイディアに問題があっても、書きようによって面白い話にすることが出来ることは経験上、判っている。

問題は「その出来上がったものを投稿しても賞に引っかかったことが一度もない」ということなのだけど、それはこの玉子焼きとは関係ない。


さて、二つの問題を同時に解決するにはどうすればよいか。


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玉子を追加すればよい


玉子を新たに2個増やして、これに先ほど作った卵液を加えることで味と固まりやすさの両方を一挙に解決出来るのでは……?

卵液の量は、なんの根拠もないけど100ccにしてみよう。


菜箸でよーく混ぜて、再び鍋を熱してバターを溶かして、いざ再戦!


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おっ!


薄焼き玉子らしきものが出来てきたぞ!


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後で気が付いたけど鍋の使い方間違ってるな……(たぶん奥にカタマリを寄せて手前に卵液を入れるんだと思う)


二回、三回と薄焼き玉子を巻いていくうちに、どんどん「玉子焼き」の体裁をなすものが出来上がっていくではないか。

しかし漂う匂いはすごく甘い。見た目は玉子焼きなのに甘ッたるい匂い、五感の中で起きるパラドックス。しかし今は視覚と嗅覚が一対一で真っ向から対立しているけれど、味覚が加われば多数決で納得行くものになるはず!



◆実食!


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奥の小皿はカラメルソースですがこの後固まって使い物になりませんでした


どうだ。

見た目は完全に玉子焼きだ。

ちょっとゆるくて色白だけど、でも、これは玉子焼き以外の何物でもない。

だが問題は味だ。さっきみたいに甘すぎたらどうしよう……? 恐る恐る、口に運んでみると……。


あったかいプリンだ。

ちゃんとカスタードの味だ。

でも食感は玉子焼きだ。


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断面もこの通り


大成功である。「デザートになる玉子焼き」がここに完成した。当初のアイディアの問題を、後付けの思い付きによって見事に克服することが出来たので大満足である。


ただ、これ一切れで十分だな……、だっておれ、甘いもんそんな好きじゃないから……。


===

 

◆でも甘いもんそんな好きじゃない


BL小説家を目指す上で、ぼくが超えるべきハードルは多い。歳も歳だし、そもそも男だし、このところ「ほんとになれるのかな……」と不安になるシーンが増えた。思いつくネタ思いつくネタ、「こんなのBLで書いていいの?」みたいなものばっかり。それでも必死に知恵を絞って書き上げて、賞に引っかからないなりに、少しずつ投稿先の編集者さんから褒めて貰えることも増えた。

思いつくネタというのはぼくの中から生まれてくるもの。そしてそれをどう料理して作品に仕上げるかというのも、ぼくに委ねられている。ネタがBLとして奇妙なものばかりになりがちなところは、やっぱり技術を磨いてカバーして行くのが大事なんじゃないか。

今回のチャレンジは、ネタから作品へと至るプロセスを見つめ直すいい機会になりました。


むりやり小説の話で締めようとしてるのは、まだ大量にある卵液をどうしたらいいのかというアイディアが全く浮かばないからです。


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誰かぼくにいいアイディアをください